2)「楽しい」が人生の羅針盤
「楽しい」が人生の羅針盤なんだと思う。
「楽しい」がすべての選択の基準なんだと思う。
楽しくないとどんなことでも長続きしないし、そもそも楽しくないと自分自身に満足できない。
だからこそ「楽しい」を選んで生きたいと思う。
楽しいことには、能動的になれる。
楽しくないことは、残念だけど受動的になってしまう。
楽しいことなら饒舌になるのに、楽しくないことだと無口になる。
楽しいことは、少し恥ずかしくてもできてしまうのに、楽しくないことをしていると本気で恥ずかしくなる。
楽しいことは、ずっと続けられるのに、楽しくないことはすぐに飽きてしまう。
楽しいことをしていると、夢中になって今この瞬間を生きている感じがするのに、つまらないことをしていると自分の存在が縮んでしまった気持ちになる。
ある人が、永遠はふたつあるといっていた。
ひとつは、つまらないと感じているときの時間の長さ。
もうひとつは、夢中になっているときの忘却された時間。
その人は、後者のことを久遠といっていた。
久遠とは、一瞬という永遠のことなのだ、と。
退屈である永遠よりも、夢中になって生きる久遠で生きていきたい。
何もせずにただ時間をやり過ごすのではなく、この人生をあっという間に終えてしまいたい。
だから「楽しい」を人生の羅針盤にしていこうと思う。
「楽しい」を基準にして大海原を進んでいこうと思う。
冒険王はきっと「楽しい」に違いない。
「楽しい」とき、今この瞬間を生きている。
「楽しくない」とき、今この瞬間を生きてはいない。
「楽しい」ときは満足できるし、「楽しくない」ときは満足できない。
「楽しい」ときは世界の中心にいることができるし、「楽しくない」ときは世界の隅でだた世の中の動きを傍観しているだけだ。
「楽しい」ときは世界の中心で愛を叫べるが、「楽しくない」ときは世界の中心で愛を叫べない。
瞳を閉じて、君を描くよ、それだけでいい、じゃつまらない。
だったら、勇気だ愛だと騒ぎ立てずに、その気になって生きていきたい。
人生とは、結局、楽しいか、楽しくないか、それだけなのかもしれない。
楽しいことに理由はない。でも楽しくないことには理由がある。
だから、理由のないことを楽しんでいけばいい。
わずかな力が沈まぬ限り、涙はいつも振り切れる、から。
夜明けだ、朝だと騒ぎたてずに、その眼を開ければいい、から。
今日も明日も「楽しい」を求めて生きていこう。
Yah yah yah ya ya ya