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春の日には翼を開いて


それは25年ぶりの面接から始まった



25年ぶりの就活は困難を極めた。



専業主婦だった私は

経験もなく年齢は重ねていて、いくつも落ちてはがっかりの連続だった。


これで最後にしようと受けた初春の面接でのこと。

時給も高い事務職で、諦めていた私に


「私はあなたのような人と働きたい」

と女性面接官がにっこり微笑みながら話し始めた。


「あなたがいたらきっと職場が明るくて楽しくなります」


後日通知します、と言われた帰り道

身体がじんわり温まるような感覚がした。


夜明け前


その数年前の春

私は

震災で実家を失い、

母の認知症が悪化して以前のような会話ができなくなり、

そして


たった一人の子供を亡くした。


*****

3週間の間に起こった突然のいくつもの大きな喪失の前に

私はなす術もなく、泣くこともできず、感じることもできず

ただただ

子供を弔い、

実家を解体するためにあらゆる役所を奔走し、

一人で傾いた家に入って余震に怯えながら、出せる家財やアルバムを出し、

母をなんとか施設に落ち着かせるために何度も帰省した。


*****

「孫が死んだのはあんたのせいだ」

たった一人の孫を失った悲しみが怒りとなり、面会の度に物を投げつける母

あまりの荒れように施設から退去勧告が出されるなか、ひたすら頭を下げる。


加えて、それまで懇意にしていたはずの友人たちが次々と離れていき

広がる噂話で、近隣からは目を合わせることも避けられ、一切口も聞いてもらえない。

我が家に向かって「お祓い」と称して祟りを祓う真似事をする子供たちもいた。


荒れる夫にも昼夜問わず悩まされた。

ショックで大量の下血が始まり

色彩がわからなくなり、白と黒しか見えなくなった不自由な眼で

ただ黙々とやらねばならぬことをしていった。


「これが終わったら子供の所へ行こう」

それが支えだった。



そして数年後、

ようやく解体と崩れた宅地復旧が終わって、三回忌を過ぎた時にはアラフィフになっていた。


ふっと「仕事をしようかな」と思った。


それは驚きの連続だった


ようやく決まった仕事。

朝7時前には出発し、帰宅は19時過ぎ。

いきなりの長時間勤務に、ほぼ100人近い女性の職場。

想像以上に体力を使い、また大変な思いをした。

スタッフの9割以上が入れ変わり

以前のようには家事ができないことも増え、夫に不満をぶつけられた。


それでも

福祉に関わる仕事で、お役に立てている実感があり、新鮮で嬉しい日々だった。


何より私が「必要とされる場所」ができ、

色々な事情を抱えて頑張る仲間の励ましは、大きな「喪失」を少しずつ埋めていき、笑顔をくれた


そして時には帰り道の夜空を見上げながら、泣くことができるようになった。


「自信」という力


採用担当者はちょくちょく職場に来ては私を誉めてくれた。

上司は何度も丁寧にパソコンでの仕事を教えて、失敗をカバーし

「大丈夫、あなたならできますよ」と自信をつけてくれた。

長く勤めるスタッフは珍しく、感謝され、給与も少しだけあがった。


専業主婦時代にはなかった社会的評価と給与は

「主婦としての能力しかないと、周囲も私も考えている」状況を少しずつ変えていく


家事を分担し、妻の人格を認めるように夫に何度も訴え始め

誰にも遠慮や許可を求めずに

化粧品を買い、洋服を買い、施設にいる母に洋服をプレゼントする

自分のために勉学をし、投資をする

歌うためにボイストレーニングを始める


そして初めて

自分が好きな場所に自由に「一人旅」を始めた。


夫に対しても、両親に対しても、いや周囲の人全てに

ようやく対等に接し

「私」という存在を大切にできるようになった。


そして笑顔の裏で

むき出しの刃をそのまま握りしめ、血を流していた心は


いつしか刃を放し、

血が止まり始めたのだ。



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「自分」を感じる


初冬のある朝

高原のホテルのデッキで

氷点下の真っ暗な空間に一人いた。


悲しくもなく、寂しくもなく、ときめきも、喜びもなにもない

降るような星空

ただそこに宇宙が広がっている


満たされていく「私」


そして凍てつくような凛とした空に、大きな尾を描いて流れ星がスッと通り過ぎたとき

「私はここに居る」と思った。


さらに

左手から夜空にほんの少しの白い光がさしはじめ、細い細い帯がグラデーションのようになり

ほんのり赤みがさしていく


真っ暗だった高原の

草や木々、そして目覚めた小鳥たち、時々すすきを軽く揺らす風が少しずつ見えてくる


宇宙のなかで自分を感じ、見えなかった物がようやく見えたその時


私が初めて「私」を取り戻した。


不思議な感覚だった。


*****


職場を退職することになったのは、それから2週間たった日のことだ。

次年度からフルタイムになって、さらに精進するつもりが

なぜあっという間に退職することになったのか自分でもよくわからない。

見えざる力がそう決めたような感じまでした。

大きな精神的支柱を再び失うことでバランスを崩すのではないか、と気遣ってくれる人もいた。


でも


「自由」を手に


私はこの仕事で自信をつけ自由を得た。

なにより「私」という存在をはっきりと自覚し、周りを大切にしながら、自分も大切にしていこうと思えた。


25年ぶりの就職は私に素晴らしいプレゼントをくれたのだ。

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そうだ

「はたらくこと」で私は翼を手にしたのだ。


*****


数年振りの寒さのなか、今はまた自宅に籠って

自分のために料理をし、

そして大好きな古楽を聴きながら、

震災で避難させたアルバムや、子供の遺品整理、そして自分の荷物の断捨離をようやくしている。



「大丈夫」



辛くて見たくも触りたくもなかった思い出を整理できている。

終わったら今度は資格を活かして

さらに社会のお役にたてる仕事を探そう


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「はたらくこと」から始まる物語


もう少しして暖かくなったら、また高原に出かけよう。

そこにはきっと

新しい「私」が居る


そして翼を大きく広げてしっかり羽ばたこう


悲しみも苦しみも

失ったものも

人も

我が子も


包み込んだ全てを解き放ち


これからは私らしく自分の人生を生きて




働くことから始まった「私」という物語を作っていこう



#はたらくってなんだろう














































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