見出し画像

第130回文學界新人賞に応募しました。

栗山真太朗です。2024年9月〜11月まで文芸を中心とした活動記録が滞りました。良い機会ですし、12月1日の文学フリマ東京39開催までなるべくこの第四半期をそれぞれ振り返ってみます。訓練としてなるべく主観を取り除くように、事務的に記しますのでご留意くださいませ。


応募小説の概要


今回の記事はタイトル通り、第130回文學界新人賞に応募した小説についてです。自分としては珍しく主人公を20代後半女性として、一般社会人、週末にある種類のセミプロのような活動をしている人物の視点での一人称小説でした。

枚数は141枚。文學界新人賞は上限が150枚だったのでギリギリのまとめ方をしたように思えます。

執筆期間および投稿日付近の様子


夏の執筆について、当初は林芙美子文学賞(9月中旬〆切)、文學界新人賞(9月末〆切)、群像新人文学賞(10月15日WEB〆切、10月末郵送〆切)へ応募できるように動こうと春の時点では考えていました。

ところが私生活上のアクシデントで体調を崩して進捗が滞り、また林芙美子文学賞用に書いていた上記の内容が文學界新人賞に送るべきではないか、と途中で考えたため、応募する賞をスライドしました。当初に群像新人文学賞に送る予定だった小説はプロットを生かし、年度末の新潮新人賞に投稿するべく今後は動くつもりです。

第130回文學界新人賞投稿作については、ぼんやりとした構想は2023年の夏からですが、実際に着手したのは、日記による記録によると、2024年8月21日でした。それから初稿が出たのは9月24日。2日置いてその間に別の小説を書き、9月26日から赤字入れ・推敲・改稿を経て、9月28日にWEB投稿しています。間髪入れず群像新人文学賞投稿作への執筆に移行したようです。翌29日には一区切りをつけるためか二ヶ月半ぶりの散髪に行っています。

初稿が出てメガネ大破


日記を見返してみると、初稿を出した9月24日は少し気が抜けたのか、自転車を漕ぎながら頭から電柱へ激突しています。セルロイドのメガネのフレームは左側二箇所が割れ、額と頬骨のあたりの皮がめくれて出血したのを憶えています。印象的なのは、その時ちょうど小学校は下校時刻だったからでしょうか、道行く先に三・四人の男女の子供たちがいました。電柱に激突した自分はその時、半分意識が飛んでいたのですが、そのうちの一人の女の子が駆け寄ってきてくれて、メガネのフレームと、飛んでしまったレンズを拾い、私に渡してくれました。でも私はその時、頭に衝撃を受けていて「ありがとう」と言うことすら覚束なかった。願わくば巡り合わせでその女子がこの記事を読んでくれることを祈るばかりです。あの時は助かった、ありがとう、と筆者は感謝していることを、なんとかしてお伝えしたい。

つきまして、最近(2024年11月第4週)そのメガネの修理代が請求されました。一万二千円と、安くはない費用がかかりました。それもこれもすべて小説のせい。中長編の小説をやり続けると生活に支障をきたす、その一端をお伝えできたかと。

書くの楽しいしまぁ仕方ないか、で済ませてるので今後さらなる災難が降りかかると思われます。筆者の私小説的SNSでありますX(旧Twitter)もどうぞご覧くださいませ!


文学フリマ39の出店エントリはこちら↓


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集