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青い空、振り返ると黒い雲
見上げた澄んだ青空に白い雲が浮かんでいて、心が洗われるようだ。きれいだなと思う。
ふと西の空を見ると、沈む行く日にかざされているせいか、どんよりとした雲が立ちこめている。何か不気味な感じがする。あの彼方は雨が近いのだろうか?
こんなことを言うとおかしなことを言うと思われるかも知れないが、美は、人間の生命活動の結果だと思える。青空は居心地がよい。そして、美しい。いつまでも見ていたい気持ちになる。平穏な気持ちになれるのは、今のままのんびりとそこに居られるからだろう。安全は美につながっている。
それに対して、西の空に見える暗雲は、穏やかな気持ちを破る。黒い雲は、雨を連想させる。雨が降れば、じっとしてはいられない。直ぐに雨宿りできる所まで走らなければならない。不穏なものは美を感じない。これは、自分だけのこととは思えない。
そうなると、美か美でないかは、平穏か不穏かと関係がありそうである。美は初めにあるのでなく、平穏なものに対して、美を感じるのではないか。生命の安全を保障するもの、生命を慈しむものに美を感じる。そういうように考えると、美は生命活動の結果だと思えてくる。
青い空を見て、美しいと感じ、振り返って黒い雲を見て、ドロドロしたおぞましさを感じた冬の日の夕刻に、こんなことを思った。
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