『描く』とは
コツコツと、体調と相談しながら、通常の何十倍も亀の歩みで、えっちらおっちら杖をつくように作画させていただいております。急がないからゆっくりでいいよと、心優しい皆様のお気持ちに甘えさせていただいております。
手を動かしている間は、余計な事を考えず無になれます。特にコロナ自粛以降、たくさんの優しい皆様が、無職になってしまった私を見兼ねて、似顔絵のご注文をして下さいました。肩や首が痛くなるのも忘れて(正確には無視して)何時間もパソコンに向かいました。絵描きとして、手が成長して行くのを、自分でも実感する日々でした。
流し営業でも、それこそ毎晩毎晩、似顔絵を描かせていただき、8年間で通算何名さまの似顔絵を描いたのか、自分でも分かりません。デビューの年、1か月(週3日)で100枚の似顔絵を描かせていただきました。その後週3日が4日になり、毎日になり、8年。計算は苦手です。
描けば描くほど、手は成長して行くのです。そして、道具の使い方も成長します。アナログとデジタルでは、全く違う世界です。動かす手は同じでもスキルはまた別で、やはり描けば描くほどそれぞれに成長して行きます。
また似顔絵と、オリジナルのイラストでは、心構えも描き方も脳内の動きも、全て趣きが違います。去年、年内完売御礼となった2021年荒木ちえカレンダーでは、描き下ろしでオリジナルの12枚のイラストを描かせていただきました。四季折々、季節感満載のちえと猫のテト様。やっぱりオリジナルを描く時は、デッサンだけではない、ストーリーが生まれ、作画のスキルもさることながら、『描く』という事そのものへの心の成長があったように思います。
『描く』とは。
日常で経験したり、本を読んだり、人と話したり、自分の心と向き合ったりした時に生まれる感情、情動が、一度咀嚼され消化され、血となり肉となったあと、再構成されて生まれ直す事なのだと思います。
それが、絵になったり言葉になったり音になったり、表現方法は様々ですが、その人にとって一番出しやすい形で作品になるのだと、思っています。私の勝手なイメージですが比較的論理的な思考から生まれ直したのが、言葉。言葉にならないイメージのまま生まれ直すのが、絵。もっと抽象的な形にならない衝動のようなものが、音になるように感じます。
私は、大学で方法論に囚われず、形にこだわらず、自分の中にあるものを外へ出すという『表現』について学びました。様々な素材(木材、金属、ガラス、紙、シリコン、布、ビニール、平面に立体に、パフォーマンス、カメラ、映像編集、などなどなど)を経験し、自分に合った素材を選んで表現するという事に特化した科で、大いに楽しんで学びました。
ちなみに、私は、大学へ行く前、故人小池一夫先生の元でスパルタ漫画道場的な場所にいて、若干漫画ノイローゼで、芸大に行って、手を動かす喜び、もの作りを楽しむ心を取り戻したいと受験し、漫画から逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。にも関わらず、在学中にとある情報誌に漫画家デビューしてしまったため(今ではご縁に感謝してます)、より一層、漫画という平面モノクロの世界から最も遠い素材に触れていたくて、他者を楽しませる事を目的としたプロとしての仕事と、ただ自分が楽しむ事を目的としたアマチュアの聖地を分けたくて、より未経験な選択科目を選びました。
様々な素材を触りました。今では、本当に財産だと思ってます。卒業制作に選んだのは、音とパフォーマンスと立体造形を合わせた作品。仮面と衣装と小道具を作り、腰から小型スピーカーを下げ、端唄や小唄を流しながら、小道具を使ってご来場の一般の方や学生さんを巻き込んで、パフォーマンスをし、会場を練り歩き、他人の作品と一緒に写真を撮って勝手にコラボするというものでした。若干痛い、迷惑な学生でした。
というか、学生のうちにしか許されないアホな事を積極的に意識的にやっておりました。一般社会でやれば大問題だったり、相手にされなかったり、つまらない事と評価されるような事をあえて、選んでやっていたように思います。アマチュアを楽しむ、これは経済的に恵まれていないとできない贅沢な事だし、プロ意識を一度持つと、中々子供のように無邪気に楽しめないので、今はとことんアホになって楽しむのだ!と心に決めていました。
2年時には、既にプロの漫画家の端くれになっていたため、現実に逆らうように、その思いはより強固になっていたように思います。せっかく高いお金を払って(払ってもらって)学生という立場を手に入れたのだから、とことん味わい尽くさなくては、勿体ないと息巻いていました。ついでに、同じ学費で取得できる美術の教員免許もとりました。それこそ、学生でなくては出来ない醍醐味の一つです。他者に何かを教えるという事は、本当にその事柄を理解していなくてはできません。絵を描く楽しさ、表現する事の喜び、評価よりもまず手を動かす事の大切さを、どうやったら教えられるか、考える機会を得た事も、その時の自分に向き合うのに役に立ちました。小池一夫先生が、いかに人に漫画を教えるのが上手いかも痛いほど理解できました。全てが、財産でした。
ピカソが、一度完成したデッサンを、壊して再構成して、子どものように何にも囚われない、自動的な自由でもって、キュビズムを始めた感覚に、当時、何となくシンパシーを持っていました。恐れ多くも、大胆不敵な、学生にしか許されない、世間知らずな身の程知らず。そんな立場を経験できた幸福に感謝しています。(母上様、その節はお世話になりました。)
流しという職業に就いてみて、それは学生時代にやっていた事、卒業制作の延長にあるような気がしました。荒木町という街全体が、会場、ギャラリーのような感覚で、他人の作品(店)と勝手にコラボ、そしてパフォーマンス。衣装を考え、演出を考え、オリジナルの道具を作るDIY、卒業制作に選んだ複合的な表現のテーマが、アマチュアからプロに昇華したような気持ちでした。出会いでした。運命だと、思いました。
また、学生時代には得られなかった、表現が誰かの心に届いて、評価を得るという次の段階、そこからそれを維持向上するという努力、人付き合いや営業力などの、作品(私自身)を取り巻く環境整備や、人間関係のバランス作りなど、さらに複合的な要素満載の、人としてのたくさんの学びを得ました。奇跡のような出会い、ご縁、また別離、乗り越える強さ、前のめりに学ぶ事しかありませんでした。体力的に精神的にキツいけど、好きな事しかしていない、概ね天職、自己実現の場だと思ってきました。
コロナ禍という特殊な状況によって、その全てを奪われる事となりました。でも、無くなってしまったものは、泣こうが喚こうが、無いものはない、ない袖は振れないから仕方ないのです。メソメソしている暇があれば、手を動かす。この特殊な時期が日常化して久しく、いつそれが終わるのか誰にも分からず、例え終わる日がくるとしても、始まる前と同じ世界が待っている保証はありません。月日は巡り、時代は巡り、誰にとっても、新しい世界しか未来には広がっていないのです。
コロナを経て、再び表現というものに向き合い直すチャンスが巡り、人との巡り合いにも恵まれ、病に出会ったことも、一つの転機です。どんな巡り合いにも、必ず意味があります。
自分を見つめ直し、無理をしてきたパーツを労り、新しく再生する事が、今の私の課題なのだと思っています。
もう一度、今一度、さらに深く、ゆっくりと、自分自身と、生きる世界と、向き合い直したいと思っています。
そして、手を動かし続けます。
描く事、歌う事、言葉にする事。
このnoteを書き始めたのも、そんな事を予見して体が無意識に動いていたのかもしれません。計算は苦手ですが、何でもいいように関連づけて思い込むのは、大得意です。
たまには、病以外の事も書きたいなと、思って綴ってみました。
完売御礼2021年ちえカレンダーの描き下ろしイラストは、ちえfun倶楽部運営のGalleryちえにて、ご覧になれます。
また、描き下ろしイラストは個別にお買い求めいただけます。(額装した状態で、ちえfun倶楽部より発送させていただきます。)
今後も、色々心に生まれ直してきた想いを、絵として描いて、こちらのgalleryにアップして行こうと思ってますので、どうぞ、今後とも、何卒、ご贔屓に。よろしくお願い申し上げます。
言葉も、音も、少しずつ、形を探って行きたいです。