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私のご自愛主義

つぶやきにちらっと書いたりもしたけれど、ここ数週間、メンタルが落ちていた。PMSかなとも思いつつ、その期間が過ぎてもイマイチ気分は浮上できないまま、どうしたもんかと途方に暮れていた。
まぁ、どれだけ気が滅入ったとしても、「安静に過ごせばいずれ落ち着く」と冷静に判断できる自分も保てているあたり、成長してはいるんだろうけど、やっぱりネガティブな状況を耐えなくちゃいけない(しかも期間がわからない)というのは、かなりしんどいものがある。

そんな中、今日は眼鏡のメンテナンスへ行ってきた。
いつも仕事中に愛用していたお気に入りの眼鏡なのだが、かけてる途中でだんだん斜めにずれてきてしまうことが増え、本当は買い替えるつもりだった。
でも、店員さんに相談したら、調整すれば治るかもという話だったので、調整をお願いすることにした。
ゆるんでいた小さなねじを締め直し、若干広がってしまった柄の部分を戻し、黒ずんできた鼻あて部分も新品に交換。仕上げにていねいに洗浄してもらい、返ってきた眼鏡をかけてみると、買った当初に感じていたフィット感が戻っているではないか。
これにはとても驚いたし、同時にすぐ別のものに買い替えようとした自分が恥ずかしくもなった。こんな風にきちんとメンテナンスすれば、気に入ったものを長く愛用できるのだ。
店員さんもとても親切で感じがよく、ちょっとした会話しかしてないものの、わたしにとってはかなりの気分転換になりありがたかった。
そして帰り道にふと思った。
「これって物に限った話ではなくて、自分自身にも言えることだな」と。

自分の気持ちがモヤモヤしたとき、その都度自分に向き合っているつもりだったけど、よくよく考えてみると毎回不調のポイントは違ったりもするのに、対処方法は「自分の気持ちを否定せずに認知する」これ一点だった。
それももちろん大切なことなんだけど、これって例えるなら、「眼鏡の不調の原因は、ねじが緩んでいることだったのに、眼鏡拭きでレンズを磨くだけでメンテナンスした気になっていた」のと同じじゃないか。
原因を考えずに思考停止でいつもと同じケアの仕方をしたとて、根本的な解決にはならない。
そしてそれは、わたし自身の不調にも言えること。
もっと別のアプローチで気分を変えることが必要なときもあるのに、半ばルーチン化した作業を繰り返すだけと言うのは、自分に向き合っているようで実は向き合うことを放棄しているのと同じだ。今回なかなか気持ちが持ち直せなかったのは、それも原因の一つだったのかもしれないと、ようやく気づいたのだった。

今のわたしの周りには、新たにストレスとなるようなものはない。だから、今のわたしが苦しむとしたら原因は過去の記憶のフラッシュバック。
でも、それはもう時間薬に頼って記憶が薄れてくれるのを待つしかなくて、そうなると今出来ることは日常の中に何か心躍るスパイスを仕込むことだけ。悪い記憶を良い思い出で上書きしていく、そんなイメージで。

確かにここのところ仕事も立て込んでいて、特に出かけたりもせず黙々とPCに向き合う時間が多かった。それもあって気分転換がうまくできなくなっていたのかもしれない。
そんなことを思いつつ、帰り道の途中でサンリオショップをのぞいたら、最近地味に気になっているポチャッコグッズがたくさんあってときめいた。
ちょうど家の鍵に着けるキーホルダーを探していたので、自分用にポチャッコ、夫にはけろっぴを買った。(夫は別にけろっぴ好きなわけじゃないけど、なんとなく似合うからという独断と偏見です。)

か、かわいい・・・!!

それから、近所のイタリアンレストランにも行った。家では基本的に和食しか作らないので、久しぶりに食べるトマトソースや濃厚なチーズは本当においしかった。
日常に仕込むスパイスって、別にそんなに大それたことじゃなく、こんな風に出かけたり味わったり、家の中だけでは得られない刺激を自分に与えてあげればいいだけなのに、ついつい忘れてしまうのだから困る。

季節の変わり目なんかには、相手に「ご自愛ください」と伝える文化があるけれど、自分に対しても忘れちゃいけないよね。毎日ご自愛しましょうよ、わたし。
自分は一人しかいないのだから、壊れたから買い替えるなんて出来ないし、この先も付き合っていくしかない以上は大切にていねいに、メンテナンスを行っていかなくちゃ。
一度壊れてしまった部分はピカピカの新品には戻らないけど、磨けばまた光ることだってあるだろう。
そんなわけで、だいぶ気分は持ち直したので、ぼちぼち更新再開します。(たぶん…)

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夕夏
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