人の縁に生かされた一年
これが今年最後になると思いますのでとりあえずの総括を。
今年もいろんなことが起こりました。年初は経営トップとの諍いがあり、精神的にきつかったですが、人のご縁に恵まれて何とか関係性は武装中立といったところでつなぎとめ、あとは一定の冷却期間をおいて、お互い、感情的な部分の塊が小さくなるのを待つ、そんなところでしょうか。
その結果、まったく門外漢の部門に4月から行くことになりましたが、それはそれで、法の世界の泳ぎ方、戦い方、守り方、味わい方を知ることができて、
最近の基本書の類のアップデートもできて、四半世紀前の、山の裾野で周りしか見えていなかった時とは別の、ものが見えたところにあって、はじめて得心したこと、実践の裏打ちの理論があることの感動を、知るところとなりました。
仕事においては、良い意味で多くの人に自分の存在を知られることは、非常に大事であり、能力が高い人でも、知られていないと助ける縁手がかりなく、引き立てられることもなく、何となくあちこちコマとして使われる、そんな人を数多く見てきましたし、知られていても悪名高いと、その先入観で次なるステージの入り口で拒絶されるところも、やはり多く見てきました。
結局、自分の立場なんてものは、特に組織においては、絶対的優位にあり続けることなんてなく、自分の思い込みとか下馬評なんてものは、だいたいあてになりません。
現在の立ち位置の上下関係で、下の人を邪険にすると、逆転したときに手のひらを返すにせよ徹底抗戦するにせよ、自分を下げることになりますし、立場が入れ替わらなくても、巡り巡ってボトルネックになっていることもよくあると思います。なので、誰に対しても丁寧にわけへだてなくというのは、基本として持っておいて、間違いはないと思います。
母親との関係においては、結局、どっちにしたいのかという感じもありますが、認知が低下しているので、理詰めて決めるのは難しく、
常の不平不満は今の場所から動けば解決するという表層を捉えるより、不満を言うことでむしろ関心の向けどころを見出していると考えると、
そうした憎まれ役は置いておいたほうが良いのかもしえません。
何せ、行く先も同じ寂しさしかないのですから、単調な日々に飽きて、人はいても寂しさは消えないことに気づくはず。
もちろん、認知機能の低下で一人での生活が儘ならなくなると困るので、施設入所は視野に入れつつ、焦らずといったところですね。
noteは、最初は自分で日々のことを綴っている場でしたが、次第に他のnoterの方の記事を楽しみにするようになりました。
重なるところ異なるところは当然ありますが、共感できる悩みをお持ちの方も多く、皆さんの記事はクオリティが高く味わい深い。居酒屋で隅で一人で飲んでいて、他の人たちの語りを聞いて頷いている、そんな感じでしょうか。
クオリティはまだまだなれど、来年も連続投稿は続けていきたいと思います。