−寿司屋のこばなし− 一心鮨の変遷 のはなし
ここまでの私の文章の中で登場していた、父が経営し、私が修行をしていた「一心鮨」ですが、このあと店舗が増えてきます。ここまでは「一心鮨」とお伝えしていた店舗は「一心鮨本店」となり、私のことをあまりご存知では無い皆様にとっては
「ん?」
というふうに若干ややこしいらしいので
(自覚なく話していることを女将に指摘されました。(笑))
先にこばなしでお伝えさせて頂きますね。
◆一心鮨(一心鮨本店)◆
一心鮨(のちの一心鮨本店)は、昭和48年(1973年)に私の父、故:木宮一高が宮崎市で開店した鮨屋です。木宮一高は高校卒業後、東京都板橋の栄寿司で8年間修行し、宮崎に戻って自分の店をだしました。(いわゆる起業です。)
高度成長期やバブルの時代に支えられ、一心鮨は20センチ近い大きなネタの握りで評判を呼び、宮崎でトップクラスの鮨店へと成長しました。
また従業員教育にも力を入れ、高校卒業者を対象に衣食住を提供しながら鮨職人として育成しました。多い時には1店舗に職人15人、アルバイトを含めると30人以上のスタッフが働いていました。
木宮一高が病没する2010年まで、約37年間営業をしていましたが惜しまれつつ閉店となりました。
◆回転寿司 一番星◆
そのように多くの職人を育成していたこともあり、若手職人が実践経験を積める環境を整えるため、宮崎市から20キロ離れた新富町に「回転寿司 一番星」をオープンしました。一番星では店長を任され、売上を倍にすることができました。その後徐々に若手の職人が減ってきたこともあり、一番星が担っていた若手育成についても本店と新たにできた光洋で行うこととなり閉店となりました。
◆一心鮨 光洋◆
一心鮨生誕30周年に「一心鮨 光洋」を開店しました。
(ここで、一心鮨が本店と光洋の二つになります。)
詳しい経緯は今後の本編でお話ししますが、途中から私も店長として働き、大将の経験もすることができました。木宮一高が病没後、唯一残った「一心鮨 光洋」は、現在木宮家の四男、木宮一光が代表として、一心鮨の歴史を守りながらも、さらなる発展を目指しています。
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◆木宮一洋の変遷
21歳10月、一心鮨(本店)からスタート
<一心鮨(本店)で過ごした頃は若手時代といえます。>
26歳 回転寿司の一番星 店長就任
27歳 一心鮨 光洋店長就任
29歳 初めて全国紙にて掲載していただき、
これ以来、毎年何かしらの全国紙に登場するようになりました。
<父が没するまでは店長時代という位置付けになります。>
33歳 父没・一心鮨(本店)閉店
一心鮨光洋の大将就任
39歳 一心鮨光洋を退職
40歳 2019年8月5日
福岡にて 鮨料理 一高 を開業、現在に至る。
<33歳の大将就任から大将時代、といえます。>
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改めて整理してみながら、私自身も曖昧なところがあり、
これでは読んでるみなさまも混乱するよね、と(笑)
女将の助言に感謝です。
さて、この投稿が年内最後のブログとなります。
10月からはじめたこのブログも多くの方にお読みいただけているようで、スキボタンでのリアクションの他にも、「読んでるよ!」なんていうお声かけもいただけるようになりました。本当にありがたいです。
(欲を言えば「スキ」してもらえるともっと嬉しいです。(笑))
来年も引き続き綴っていきますので、ファンの皆様は是非、今回のこばなしを踏まえた上で、もう一度最初から読み返して復習しておいてくださいね。(笑)
本年も本当にありがとうございます。
来る年も是非よろしくお願いいたします。
良いお年をお迎えくださいませ。