第11話 寺岡師匠との出会い
実家での修行が始まって約1年半が経過した頃には、
大きな魚も捌けるようになってきました。
その間に私に仕事を教えてくれた、
年下のすぐ上の先輩が辞めてしまったため、
修行一年生の自身の仕事に加え、
先輩がやっていた仕事もこなす日々。
なかなか後輩が来ず、来てもすぐ辞めるという状況で、
一番下の立場というのは変わらずの状態でした。
次に進むためにはどうすれば良いのか?
と考えていた時、先輩たちが埼玉の寿司屋を巡る
研修に出ていることを知りました。
これは一心鮨の伝統でもありました。
当時の一心鮨では高校卒業したばかりの新卒者を採用し、
他店での経験を積ませるために半年から一年ほど
父の同門や友人の店を巡る研修が行われていたのです。
これを知った私は早く技術を身に付けたかったため、この研修に行かせてもらえないかと父に相談しました。最初は少し渋られましたが、
「一軒だけ!3ヶ月だけでも良いので!」
と頼み込み、最終的に承諾を得ました。父は
「一軒だけなら、同門の中でも一番信頼している腕前の店に行け。」
と言ってくれました。
研修で訪れたのは埼玉県浦和市にある栄寿司でした。
師匠となる寺岡政志が奥さんと二人で切り盛りされている小さなお店でした。カウンター5席、小上がりに4人掛けの畳席が2台。規模で言えば一心鮨の8分の1ほどでした。
寺岡師匠は同門の中でも一番の腕前を持つ職人でした。
中学卒業後に栄寿司に入り、大野健蔵親方の弟子となり、全国すし大会で最優秀賞の金賞を受賞するなど、その実力は折り紙付き。栄寿司からのれんわけしてお店を持てるのも納得の腕前。だからこそ、父もここなら、と研修に出してくれたのです。
ちなみに、この寺岡師匠の師匠。栄寿司本店の親方であった大野健蔵氏は、全国すし組合の初代技術部長を務め、全国の寿司屋に指導を行う立場の方でした。 当時は沢山のお弟子さんもいて、大変繁盛したお店だと聞いています。
前回のこばなし「寿司の極意」でもお話させていただいたように、大野健蔵親方は日本橋の老舗寿司屋で修行を積んでいました。戦後にその店が閉店し、栄寿司の社長(この方は経営者だったそうです。)の妹さんと結婚して婿養子となりました。そして、その親方の一番弟子として寺岡師匠が育てられ、後に私の父も栄寿司に入門しました。
こうして振り返ると、私の手には100年以上続く伝統と、古典江戸前寿司の技術、そして先輩たちの想いが込められていると感じます。
そんな寺岡師匠のもとで、待ちに待った研修がいよいよ始まるのです。
修行には出さないと言われながら、与えられた環境で自分なりに修行に励んでいた私にとって、外での研修がどれだけ楽しみだったか、これまで読んでくださった皆さんにはおわかりいただけますよね?(笑)
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長くなりますが、用語について簡単に補足しておきます。なぜかと言うと、私や業界の人が把握している、その言葉だけでなんとなくわかる関係性について、皆様にはわかりにくいと思うからです。あくまで私がこれまでに接してきた範囲でのことではありますが、師弟関係の程度など関係性が掴めて、さらに楽しんでいただけるかも?(笑)
師匠・・・まずは師匠。こちらはシンプルに言えば教える人。ただし先生とはニュアンスが違うことはなんとなくご理解いただけるかと思います。
ちなみに、師匠の師は、もともと仏教の師のことを指していました。(ここでも仏教登場です!笑)そこに匠(大工)という意味が結びつき、一般の人にも使われるようになったそうです。近世以降は、歌舞音曲などの遊芸の教授者も「お師匠さん」と呼ばれるようになったそうです。
親方・・・相撲部屋や大工さんなんかで使われることが多いのですが、寿司屋で使われる時の違いとしては、お弟子さんと一緒に暮らしているかどうか、で使い分けることが多いです。一心鮨もそうでしたが、昔は住み込みで修行することの方が一般的でした。なので今ではあまり「親方」と呼ぶことは少ないように感じます。
大将・・・軍隊などでは階級のひとつ。武道の団体戦では最後に戦う人。など使われ方は多岐ですが、「一つの集団の中のかしら」という流れから、町工場や商店の主人を呼ぶ言葉、という感じです。寿司屋の大将=寿司屋の主人、ですね。