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−寿司屋のこばなし− お客様から教えられたこと のはなし

「お客様が二度とお見えにならなくなるなんて、何があったんですか?」
とご質問を頂いたので、その時のお話をしたいと思います。

栄寿司で研修をしていた頃、これまでお話ししてきたような、

「寿司は仏の手で握るんだ。」
「美しいは美味しい。美しさも味なんだぞ。」

第13話

といった、「職人としての美学」という、少しレベルの高い側面以外にも、寿司職人としての基本的な心得についてももちろん、親方から口うるさく教えられていました。

その中で特に言われたのが、
「営業中は首から上を絶対に触るな。顔にはいろいろな菌がいる。
もし触ってしまったら、すぐに手を洗うんだ。一洋、分かったか!」
というものでした。
生の魚を扱ってそれを素手で握ってお出しするのですから、衛生面は厳しすぎるくらいが当たり前の世界。このくらいは当然です。
しかし頭ではわかっていますが、「無意識のうちに・・・」ということも起こりうることなんですね。それを一切やらないよう、常に意識しておくこと。
これがとても大切なんだということを、頭ではなく体が覚えるように何度も伝えてくださいました。

そんなある日、大きな教訓となる事件が起きました。

カウンターにいらしたお客様から、
「これを読むといいよ。」
と一冊の本を手渡されたのです。私は
「ありがとうございます。必ず読んで勉強します。」
とお礼を伝え、その本を棚に置きました。
そして、包丁を握った瞬間――
座敷にいた別のお客様が大きな声で怒鳴ったのです。

「おい、お前!ちゃんと手を洗ったのか?!手を洗ってから仕事しろ!」

驚きとともに即、失礼をお詫びしました。と同時に親方もすぐに対応してくださり「申し訳ございません」と謝られました。
親方にまでお詫びをさせてしまったんです。。。

その後、親方から次のように諭されました。

「いいか、一洋。あのお客様は毎回店に入ると、まず手洗いをしてから席に着かれる。それだけ衛生に気を遣われているんだよ。この店が好きで通ってくださるのも、清掃やネタケースをピカピカにしているからだ。だから、気を抜いた仕事は絶対にしてはいけないんだ。」


この出来事以来、私は営業中はもちろん、仕込み中でも、食材や道具以外のものに触れるたびに手を洗うことを徹底するようになりました。また、首から上を触った場合もすぐに手を洗い、消毒を心がけています。


「一洋、あのときお前を叱ったお客様、あれから二度と店に来ていないよ。」宮崎に戻って寺岡師匠に電話をした際、師匠からこう言われました。
「大変申し訳ございません。ご迷惑をおかけしました。」
なんと、私の不注意がここまで発展していたのです。

手の皮が剥けるほどのお湯を使って拭きあげ、ピカピカに保ち続けていたネタケースは、30年以上使われています。それだけ積み上げてきた信頼。
お店のお客様を失ったことを申し訳なく思うと同時に、お客様にとっても、安心して通える店をひとつ失わせてしまったんです。

しかし師匠は続けてこうおっしゃってくれました。
「でも、お前にとっては良い勉強になっただろう。この教訓をちゃんと生かせよ。」


20年以上経ちますが、この時の出来事は今でも私の中に深く刻まれています。また、私のこの教訓は一心鮨でも繰り返し伝えてきましたし、これから出会う職人の卵たちにも、伝え続けていきたいと思っています。

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