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短歌:おとなの影踏み

見失いそうな自分の影追って沈む夕陽とともに去りたい/銀猫
みうしないそうなじぶんのかげおってしずむゆうひとともにさりたい

 猫は「尾追い」という行動をすることがあります。自分のしっぽを捕まえようとして、くるくる廻ってしまうアレのことです。犬もやりますよね。

 以前、動物行動学の学者の方に伺ったことがあるのですが、仔猫がする尾追いはあまり問題がないそうですが、大人猫が尾追いをするのは、何がしかのストレスを抱えているからなのだそうです。
 いまは亡き次男猫は、大人になってもしょっちゅう尾追いをしていました。彼のストレスを最後まで解消してあげられなかったことをときどき思い出し、申し訳なく思ってしまいます。

 人間も、子どもの影踏みは単純明快な遊びですが、大人が自分の影を自分で踏むのは、ある意味大人猫の尾追いのようなものを感じます。

 キリがないこと、解決しないことに没頭するというかできるというか。そういう行動って、夢中になれる割りには達成感がないんですよね。

 ただ、アタマの構造がそういうふうになってしまうときがあることは、否定できないし、しません。まさにストレスと闘っている状態なのだと思います。

 よく「頭の中をからっぽにして」なんて言いますが、尾追いのような行動が、からっぽにしてくれるのかなあ、なんて思っています。

 くだらないことをよく考えているわたしですが、「人間にしっぽがあったらどうなるのだろう」てなことを真剣に考えたりします。
 誰の前であっても心の中に隠したい、隠すべき感情がボロ見えし、社会生活が大変なことになってしまいそうですね。

 そして、わたしはそんな中で、尾追いをしそうな気がします。絶対すると思うな。

 

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北乃銀猫
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