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短歌:いつもいつもいつまでも
待っている幾星霜の歳月を君とふたたび巡りあうまで/銀猫
まっているいくせいそうのとしつきをきみとふたたびめぐりあうまで
先日の存在価値のエッセイを書いていたときに改めて思ったのですが、
英語って、日常的な表現にもよく数値を交えるんだよなあ、と。
日本語って、かなりふんわりと表現をする言語で、相手に空気を読ませたい部分が往々にしてあります。
でも、英語ってとても具体的に示す言語なんですよね。
そういえば付き合いの長いネイティヴスピーカーは、日本語で話していてもよく数値が出てきます。
「かなりの確率でこうなると思うよ」と言うと、
「何%くらい?」とか、
「何回もやってみたんだけど…」と言うと、
「何回もって何回?」とか。
しょっちゅうです。
この短歌は、短歌マガジン(次世代短歌)の【月や星の短歌】に投稿したものです。
幾星霜とは、「とてもとても長い時間が経過した」ことを表す美しい表現です。「空を巡る星がもう何度も通り過ぎたし、年に一度の霜の季節がもう何度も廻ったし」というところでしょうか。これから発生する時間ではなくて、その時点である程度の時間が経過していて、何ならこれからも発生する、というイメージに捉えています。
「黒髪に霜の降るまで」なんていう美しい表現もありますよね。「白髪になるまで」ということ。感覚的には幾星霜よりももう少し短い時間だと思いますが、やはり長時間、長期間を表しています。
このどちらも、わたしとしてはふんわりと「とっても長い時間」と解釈し、その具体性を言及する気は起こらないのですが、多くの英語ネイティブスピーカーは、ムズムズするようです。
「何十年ってこと? 何百年? まさか何万年とか?」
これは文化性がそういう考え方に至らせている訳で、日本語が英語がその他の言語のどれがすばらしい、という問題ではありません。それに、もちろん何語のネイティヴスピーカーであっても、個々人の性格というものがあって、全員が同じ考え方をすることもないですし。
ただ、文化差による考え方の相違というのは、他言語ネイティヴスピーカーとつきあうときには、頭の片隅に入れておいた方がいいと、わたしは学びました。
そして、決めつけもよくない(笑)。
最近サボり気味の英会話、またやりたくなってきてしまいました。持病もよくなってきたし、やってみようかなあ。どうしようかなあ。
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