📀亡き姉が浩則に与えた偉大なる影響② - N.S.P・上田正樹・河島英五(邦楽レコード編Ⅱ) -
前回の続きです。
思いで2
私には姉(1958年生まれ)がいましたが、8年前、56歳で亡くなりました。
この記事は、私が10代の時に姉からもらったレコードの話です。
N.S.P
当初のグループ名は、ニュー・サディスティック・ピンク(New Sadistic Pink)でした。
N.S.Pのことはすっかり忘れていたのですが、2005年にボーカルでリーダーの天野滋さんが亡くなったのを知った時には驚きました。52歳だったのですね。
アルバムからは、ヒットしたこの曲を。
ヒットしたと言っても、同世代以外にはあまり知られていないのが残念です。
上田正樹
アルバムからは、この曲を。
これは空気録音かな?勝手に思っています。
BOURBON RECORDS
先の YouTube のレコードも同じですが、私のレコードのレーベルを見ても、聞いたことのない BOURBON RECORDS の文字が。
検索すると、上記の説明がありました。
まったく知りませんでした。
河島英五
河島英五さんが2001年に亡くなったのを知った時も衝撃でした。しかも48歳。若すぎますね。
アルバムからは、この曲を。
10分を超える長い曲ですが、当時何度も聴きました。若かったのでしょうね。
四條畷青年会議所(JC)のメンバーだった時、河島英五さんに事業へ出演して頂いたことがあります。その関係で、2001年当時、JC の総務委員長であった私は、理事長と一緒に河島英五さんの葬式に参列しました。
その時、個人で香典を渡した時に頂いた CD は今も大事に持っています。急遽、事務所が作成したのでしょう。
CD にも入っていた「旧友再会」を、本人の亡くなった後の映像で。
河島亜奈睦
河島英五さんが四條畷市に住んでいたこともあり、ミュージシャンでもある娘の河島亜奈睦さんと交流がありました。今は亜奈睦さんも四條畷市を離れているため、交流は無くなってしまいましたが。
記事の内容が主旨からズレてきましたので、今回はここまで。
<了>