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📀亡き姉が浩則に与えた偉大なる影響② - N.S.P・上田正樹・河島英五(邦楽レコード編Ⅱ) -

前回の続きです。

タイトルも、前回の記事の最後に書きましたが、吉田拓郎の曲名を真似しました。似ているとのツッコミが入らないように、書いておきます(笑)

準ちゃんが吉田拓郎に与えた偉大なる影響

思いで2

私には姉(1958年生まれ)がいましたが、8年前、56歳で亡くなりました。

半世紀前、セパレート型ステレオでレコードを録音するのも大変。ステレオの前でカセットデッキの録音ボタンを押して、静かにレコードが終わるのを待つ、それが一般的な録音の方法でした。

「さっき、これから録音するって言ったやろ、足音もあかん!」中学の頃、録音途中の姉によく怒られました。

姉(高校生)浩則(中学生)
姉と浩則

当時はステレオ側に出力端子が無いものが多く、録音機器とケーブルで繋げなかったのです。仕方なく行っていた手法が、今では「空気録音」と呼ばれマニアの間では人気に。YouTube で「空気録音」と検索すれば、たくさんアップされています。歴史は繰り返すと言いますが、オーディオの世界で半世紀も戻るとは想像もつきませんでした。

この記事は、私が10代の時に姉からもらったレコードの話です。

N.S.P

当初のグループ名は、ニュー・サディスティック・ピンク(New Sadistic Pink)でした。
N.S.Pのことはすっかり忘れていたのですが、2005年にボーカルでリーダーの天野滋さんが亡くなったのを知った時には驚きました。52歳だったのですね。

N.S.P Ⅱ(1974年)・N.S.P Ⅲ ひとやすみ(1974年)

アルバムからは、ヒットしたこの曲を。
ヒットしたと言っても、同世代以外にはあまり知られていないのが残念です。


上田正樹

この熱い魂を伝えたいんや(1975年)

アルバムからは、この曲を。
これは空気録音かな?勝手に思っています。

BOURBON RECORDS

先の YouTube のレコードも同じですが、私のレコードのレーベルを見ても、聞いたことのない BOURBON RECORDS の文字が。

かつて存在した日本最古のロック専門レーベル"bourbon"。関西のブルース/R&Bをベースとしたバンドが多く在籍していました。レコードデビュー前から既に関西では人気があった彼らが東京に進出してきた時、その演奏力の高さに東京のロックファン達は度肝を抜かれたのでした。それはファンだけじゃなかったようで、東京のミュージシャン達も驚いていたようです。
ライブが命だった彼らのレコーディングされた音源は魅力のほんの一部かもしれません。だけど70年代の日本のロックの貴重な記録であることは確かです。

伝説のロック専門レーベル"bourbon"の音源が再発

検索すると、上記の説明がありました。
まったく知りませんでした。

河島英五

河島英五さんが2001年に亡くなったのを知った時も衝撃でした。しかも48歳。若すぎますね。

LIVE てんびんばかり(1977年)

アルバムからは、この曲を。
10分を超える長い曲ですが、当時何度も聴きました。若かったのでしょうね。

四條畷青年会議所(JC)のメンバーだった時、河島英五さんに事業へ出演して頂いたことがあります。その関係で、2001年当時、JC の総務委員長であった私は、理事長と一緒に河島英五さんの葬式に参列しました。
その時、個人で香典を渡した時に頂いた CD は今も大事に持っています。急遽、事務所が作成したのでしょう。

頂いた CD の表と裏
2曲入っています

CD にも入っていた「旧友再会」を、本人の亡くなった後の映像で。

河島亜奈睦

河島英五さんが四條畷市に住んでいたこともあり、ミュージシャンでもある娘の河島亜奈睦さんと交流がありました。今は亜奈睦さんも四條畷市を離れているため、交流は無くなってしまいましたが。

左画像の左より
土井市長(当時)、河島亜奈睦さん、私
2016年、市長室にて

記事の内容が主旨からズレてきましたので、今回はここまで。


<了>

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