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📄市政報告181号 - 懐かしい「JR忍ケ丘駅」 -
今月号は、記事が2つ+4コマ漫画。
その中から、今回は表面の記事を報告します。
市制施行の周年毎に発行される市勢要覧を見ていると、懐かしい忍ケ丘駅の写真がありました。
新旧を比べた下の写真(画像❶)は45周年のもので、それをきっかけに駅舎を調べてみました。
しでうなはて今昔⑧
懐かしい「JR忍ケ丘駅」
![](https://assets.st-note.com/img/1705555993871-wjA4H5PhiX.jpg?width=1200)
忍ケ丘駅は、住民運動により(岡山地区と中野地区で設置場所を争うが岡山地区で決定)四條畷市唯一の駅として1953(昭和28)年5月1日に開業。
以降、 単線で発着本数も少なかったのが、1979(昭和54)年には複線高架化と同時に自動改札機も導入され、今では区間快速も停車する様になりました。
下の写真(画像❷)は複線高架化工事中のもので、四條畷市立民俗資料館において開催された第37 回特別展で配布していた小冊子に載っていたものです。
撮影は1978(昭和53)年とのことで、私が高校への通学で駅を利用していた1976~79年は、正に複線高架化工事の最中でした。
![](https://assets.st-note.com/img/1705556054259-ZxVRgXlnu7.jpg?width=1200)
駅舎は線路の東側のみで、駅前も小さな広場があるだけでした。また、駅舎右側部分は待合室です。
画像❶と❷の旧駅舎を比べてもそれ程違いはありません。しかし、駅名を見ると、画像❶では切符売り場の上に「しのぶがおかえき」と表示されていたのが、画像❷では雨除けが付けられ見にくくなったのか改札口の上に「忍ヶ丘駅」と表示されています。
また、画像❷では駅舎の外で乗客が並んでいます。当時の忍ケ丘駅は、朝夕以外40 分間隔でしか電車も来ないため、電車が到着する数分前にならないとホームへ入ることが出来なかったためと思われます。
1968年(昭和43)年7月、私は小2の夏休みに大阪市港区から忍ケ丘駅近く(現在の岡山東2丁目)に引っ越してきました。電車を降りた時、ホームの壁が枕木を並べただけなのに驚きました。
下画像の駅名標、長尾方面の隣駅は「ほしだ」となっています。寝屋川公園(旧、東寝屋川)駅は、1979(昭和54)年の開業で、当時は存在していませんでした。
![](https://assets.st-note.com/img/1705556121035-oOpAxTMqq2.jpg?width=1200)
市政報告の画像
![](https://assets.st-note.com/img/1705555889506-DzY1sSHCAX.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1705555895855-3eswe1Zdhl.jpg?width=1200)
データ
PDFのリンクです。上記画像がダウンロード出来ます。
http://nagahata.jp/pdf/Vol181.pdf
<了>