絵本読み聞かせ#7 (幼稚園にある絵本100冊)
幼稚園にある絵本は、気軽に借りることができる。
noteに書き綴っている絵本達は、大抵家に持ち帰って読んでいるものだ。
(つまり、幼稚園では他にも読んでいる・・・読み手にとってはもはやお経に近い)
絵本の読み聞かせは、主に3番目の長男(4歳)に行なっている。
すると、4番目の次男は俺にも聞かせろと寄ってくるし、小学生の長女と次女は何となく耳をそば立てている。
こうした状況なので、手当たり次第に読むよりは、長く読まれているもの、文学的に優れたもの、小学生にも読み応えのあるものを何となく選ぶようにしている。
息子たちは、ページ数が多く文が長くても、最後まで読み続けてくれる。
絵本を読むことが好きであることに感謝だ。
#31 シオドアとものいうきのこ
仲間との自慢話で、尻尾が生え変わるとかげ、水に潜れるかえる、はこになれるかめに対し、怖がりやで顔を赤くしながら「ぼく にげられる」と言って笑われたねずみは、不思議な音を出す青いきのこを利用して嘘をついた結果、本当に仲間の元から逃げることになった。
読み終えた後、シオドアに同情する一方、特技がないことを素直に認めていれば友の元を離れることもなかったのにとも思った。
何度目か読み聞かせた時、仲間がとかげ、かえる、かめと爬虫類・両生類であり、とかげやかえるに至ってはねずみの捕食者になり得ることに気づいた。
更なる憐憫を感じる一方、去るべき仲間もいる暗喩に気づかされる作品だった。
#32 オリバーくん
「いしゃかべんごしになるだろう」「はいゆうになるでしょう」という親バカを物ともせず、我が道を進んだオリバーくんに清々しさを感じる絵本。
「ぼく みなしご」という文で、読者に驚きを与え、身構えさせる始まりから、いろんな真似事やごっこ遊びで戯れるオリバーくんの子どもらしさにほっこりしつつ、親の期待に対して猫を被り続ける強かさにも舌を巻く。
ラストの描写、見開き一枚でオリバーくんの未来を描いた構成には感動した。
幼稚園の絵本の中で最も好きな作品の一つだ。
#33 からすのパンやさん
かこさとしさんの絵本は『どろぼうがっこう』しか読んだことがないけれど、本作も文体にリズムがあり、表現がコミカルだし、子供もお気に入りだ。
途中に見開きで、からすのパンやさんが焼いたパンがどっさりたくさん載せられているが、字が読めない幼稚園児の息子とは言い当てを楽しめたし、小学生の娘達には、「どうしてこの絵がパンっぽく見えると思う?」と色づかいについて一緒に考えたりもできた。
パンを求めて森中のカラスがパンやへ向かう中、何を勘違いしたのか、消防車・救急車・武装警官までやってくるシーンがある。
「かじだ かじだ おおかじだ!」「 なんだ どうした おおけがだ!」「じけんだ じけんだ だいじけん!」とそれぞれ歌いながら駆けつけるのだが、日本語のリズムの取り方が、それとなく学べて良い。
あとがきに、「個々の生きた人物描写と全体への総合化の大事なことを、私はモイセーエフ(の戯曲「パルチザン」)から学び、さて、からすの一羽一羽に試みてみたのがこの作品」だと、作者のかこさとしは述べている。
そう言われて、からすの表情や行動を見てみると、唸るほどに面白い作品だ。
#34 さらわれたりゅう
妬み・・・人生で最も忌避すべき感情の1つだ。
日照りを憂いて村人達が龍に雨乞いの祭りすることに、悔しさと姦しさに怒りを感じた天狗は、とんびに化けて、小さな蛇に化けて祭りのご馳走で腹を満たして昼寝をしていた龍をさらい、岩山に閉じ込めてしまう。
さらに雨乞いを先導した寺の坊主も、同じ岩山に攫ってしまった。
龍は、坊主が持っていた柄杓に残る水で元の姿に戻り、坊主を寺に戻し、村に雨をもたらし、天狗を成敗してお話は終わった。
天狗も自分の良さに気づいてりゅうと競わずに村の人たちとの関わりを見つけたら、別の人生が待っていたかもしれない。
少し残酷な結末に子ども達は何を感じただろうか。
人生の禁忌や機微を、まざまざと描く日本の昔話は折に触れて読んでいきたい。
#35 王さまと九人のきょうだい
子どもがいないイ族の老夫婦に、九人のきょうだいが生まれた。
子どもに恵まれない老婆の前に現れた老人が与えた丸薬
老人がくれた名前も「ちからもち」「くいしんぼう」「はらいっぱい」「ぶってくれ」「ながすね」「さむがりや」「あつがりや」「切ってくれ」「みずくぐり」とクセのある。
王宮で倒れた龍の柱を治す者に褒美を獲らせるという王様の言葉が伝わり、まずはちからもちが向かう。
治すが、王様はにわかに信じられず、「それだけ力があるなら大飯ぐらいだ」といって、たくさんの窯に炊いた米を平らげられるか試す。
次はくいしんぼうが向かい、見事に平らげる。
だんだん、王様はいずれ王座を奪われるのではと不安と恐怖に駆られ、この者を殺めようと計略を立てる。
数々の暗殺の計略に対して、それぞれのきょうだいが代わる代わる相対する。
最後は、大川に沈められたみずくぐりがその水を口に含んで王宮へ吹っかけると、王や家来を王宮ごと水の中に消え、イ族は平和に暮らせるようになった。
王さまがトコトン業突張で小心者であることや側近が王の命に従順であるところが妙にリアルで、学びも多い物語だった。
なお、イ族は四川省や雲南省など中国南部に住む少数民族で、興味深いのは一部のイ族が奴隷制度を持っているということ。
悪い王様は奴隷を管理した側の人間だったのか、それとも漢民族の地方豪族として描かれているのかは不明だ。
まあ、その辺はまだ幼児との読み聞かせで触れないでいいところかもしれないが、そうした部族の物語を絵本にした背景は知りたいところだ。
#36 おならおばけ
おならは世界を救う。
その一言でこの本の感想は充分だ!
おならの擬音語が盛りだくさんで、それだけで子どもは楽しんでくれる絵本です。
#37 いたずら きかんしゃ ちゅうちゅう
昔読んでもらった記憶を思い起こしながら読み聞かせした絵本の一つ。
愛くるしく少しクセのある汽車のキャラクター、人情味に溢れる乗務員、牧歌的なストーリーが心を惹く。
その一方で、性能や型式が古くなった機械に対して冷たい世間の視線や、都市から地方(田園地帯)の過疎部に機械が居場所を見つけていく儚さ・寂寥に、機械文明の進展に対する作者の問いかけを感じたりする。
現実には、本作をはじめ「きかんしゃ やえもん」とか「がたんごとんがたんごとん」など汽車が出てくる絵本を読み聞かせると、憧憬を通り越して妄想に近い読み聞かせになる。
汽車に乗車したり走行を見た実体験がないからだ。
かといって、こうした絵本を読まずにおくわけにいかないと思う。
#38 エルマーとゆき
本作のシリーズは長男のお気に入り。
図書館でも別の作品を何冊か読んだことがある。
主人公のエルマーはパッチワーク模様のぞう。
姿は奇天烈だけど、遊び心と仲間を喜ばせる優しさに溢れている。
さむいさむいと気候に文句を言う仲間のぞう達をエルマーがさんぽに連れ出す。
山をどんどん登っていき、見晴らしのいい場所に着くと、そこは一面雪に覆われた白銀の世界。
ぞう達は転げ回ったり、雪合戦したり、大はしゃぎ。
ひとしきり遊んで帰ってきたぞう達は、雪山は楽しかったけど寒く、元いた場所が暖かいことに気づいて、物語は終わり。
何ともホッコリするお話だ。
#39 ゆきのうえ ゆきのした
科学絵本のジャンルに入るのかな。
雪が積もった森をスキーで滑る親子の会話を通じて、ゆきのうえを動く動物たちと、ゆきのしたの秘密の世界について描いた作品。
「雪の下には秘密の世界があってね」と父は語る。
科学的には「サブニヴィーン・ゾーン(積雪下空間、せきせっかくうかん)」と呼ばれる生態圏で、本作では冬眠中のカエルやクロクマ、マルハナバチから活動的なビーバーやシマリス、ネズミに至るまで、わかりやすく紹介されている。
巻末に作者が雪上・雪下にいる各動物の生態を紹介してあり、より理解を深めやすい。
作者のケイト・メスナーは元々教師だったようで、ホームページを見ると、"Over and Under the Waves"のように海に関する絵本も見受けられた。
こちらも訳本があれば手に取ってみたい。
本作に関しては、北海道のような雪の深い地域に住んでいると、よりリアリティを感じる絵本かもしれない。
#40 シロナガスクジラより大きいものっているの?
こちらも科学絵本なのかな。
世界最大の動物であるシロナガスクジラより大きいものを、わかりやすい表現や例えで紹介し、エベレストから果ては宇宙にまで想像力を膨らませていく絵本。
体長30m、体重150トンのシロナガスクジラを想像することすら中々骨が折れるのに、天体の大きさやその集合である銀河、そして宇宙全体まで考えると、ただ口がポカーンとしてしまい、20億光年の孤独のクシャミすら出ない。
ただ文字情報としてインプットするより、絵本のイラストを楽しみながら想像する方が身近に感じやすいかもしれない。
小学生の娘達の方が楽しんでいた絵本だ。
今回はここまで。
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