可能なるコモンウェルス〈40〉

 一般的な社会契約説の前提を素直に肯うならば、人々はたしかに「生まれながらに何処の何者であるかがあらかじめ決定されている血縁・地縁共同体」を嫌ってそこから逃れ、社会的に自由で平等な「何処の何者でもないがゆえに、何処ででも何者にでもなれる個人」として、互いに協同して「市民社会」なるものを形成したものなのであったかもしれない。
 しかしそうであったとしても、かつて人々がそこに帰属していた「血縁・地縁共同体」において、不満はありながらそれなりに一定の状態で維持されていた「彼ら自身の自己保存」の有りようを、今度は彼ら自身が自発的な意志と主体性をもって設立した、「市民社会」においてもまた同様に、求めていきたいというような欲求を持っているというのであれば、結果的にその自己保存が成立する「形式」というのは、かつて帰属していた血縁・地縁共同体における自己保存の形式と、やはりいずれは「同じようなもの」になるのではないだろうか。結局この「形式」というやつは、「誰がやっても同じ」であるし、また「いつ・どこでやっても同じ」であるし、さらには「どのようにやっても同じ」なのだ。だからこその「形式」なのである。その「形式」を実際にドライブさせる、自己保存欲求という動力も、やはり「同一の形式」をもってあらわれてくるわけだ。たとえ人・時・場所・方法がどれだけ違っていたとしても、「同じものを欲求する」のであれば結果的にそれは「同じ事をしている」ことになる。そしてそのように、帰属する者たちの欲求観念と実際行動を、形式の同一性へと実際に収斂させていく機能=機関というのが、まさしく「国家」なるものということである。

 柄谷行人は、自身と同様にルソーの社会契約説に対して批判的な姿勢を取っているプルードンの、その論理について次のように擁護している。
「…プルードンはルソーの『社会契約』という考え全体を廃棄したのではない。彼は、ルソーにおける契約が双務的(相互的)ではないことを批判したのであり、ある意味で、社会契約の観念を徹底化したのである。…」(※1)
 一方で当のプルードンは、自らの考える社会契約の「真意」について、以下のように明かしている。
「…社会契約とは、人と人との協定、そこからわれわれが社会と呼ぶものが結果しなければならない協定である。…」(※2)
 プルードンはそういった自身の考える社会契約に関する定義を踏まえた上で、ルソーに限らず一般的に考えられているような、社会契約概念における人と人との関係構造について、「それは、従属およびその見返りとなる保護という、支配−被支配関係において生じている関係構造と何ら変わりはない」と見なして批判するものなのである。そして、社会における人と人との関係性というのは、あくまでもそれぞれ個々の個人の能力を「互いに対等に交換し合う関係であるべき」だ、それが「真の」社会契約なのだ、と彼は言うわけなのである(※3)。

〈つづく〉

◎引用・参照
※1 柄谷行人「世界史の構造」
※2 プルードン「十九世紀における革命の一般理念」渡辺一訳
※3 プルードン「十九世紀における革命の一般理念」

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