今、文学の話をしよう②
cocoroさんと、文豪・詩人たち
― 『ゆきてかへらぬ』 映画化🎥を記念して―
cocoroさんと、文人たちのエピソードに潜む魅力に迫る
(インタビュー・編集:深川文)
この企画は、文学作品や文学者さんのことを伝えてつなぐ活動に積極的に取り組まれている方にインタビューを行い、文学や文学者さんの魅力を発見する連載企画です。
第2回は、cocoro(X 旧Twitter:@CocoroCcr)さんに話をおうかがいいたしました!
資料を元に、文豪の逸話を漫画にしているcocoroさん。今回は、cocoroさんにとっての文豪や詩人、特に中也のエピソードについてのお話を聞かせていただきました。
中也といえば、来年公開の映画『ゆきてかへらぬ』! 来年2月21日より長谷川泰子・中原中也・小林秀雄の三角関係をテーマにした映画、『ゆきてかへらぬ』が公開されます。cocoroさんのインタビューを通して、様々な生き方をした愛しい文学者たちの姿や3人の関係性に、想いを寄せてみませんか?
<今回,特に注目した3人👀>
※長谷川泰子
表現座の女優をしていた大正12年、京都で16歳だった詩人の中原中也と知り合う。劇団解散後、中原の部屋に移り、同棲を始める。
14年中原と上京、間もなく中原の文学仲間であった小林秀雄を知り、中原の下を去り小林と同棲を始める。
やがて潔癖性が高じて精神のバランスを崩し、昭和3年小林は単身奈良に出奔。同年松竹シネマ蒲田撮影所に入社。4年には中原と京都旅行するなど、小林との同棲後も中原と交流を持ち、中原と小林も強い文学的な結びつきを続け、後年小林は3人の関係を“奇妙な三角関係”と表現した。
5年左翼の演劇青年・山川幸世の子を宿したときには中原が子どもの名付け親になった。6年懸賞“グレタ・ガルボに似た女”に当選。9年中垣竹之助と出会い同棲を始め、11年正式に結婚した。
著書に中原との関係を口述した「ゆきてかへらぬ」がある。(日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」)
※中原中也
東京外国語学校(後の東京外国語大学)専修科仏語卒。高橋新吉の影響で詩作をはじめ、富永太郎を通じてフランス象徴詩に触れる。大正14(1925)年上京し、小林秀雄を知る。昭和9(1934)年、第1詩集『山羊の歌』を刊行して認められ、『四季』『歴程』『文学界』等の雑誌に作品を発表した。第2詩集『在りし日の歌』(1938)の刊行を待たず、結核性脳膜炎のため死去。(『中原中也|近代日本人の肖像|国立国会図書館』https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/6455/ 最終閲覧日:2024年10月19日)
※小林秀雄
文芸評論家。昭和4(1929)年雑誌『改造』の懸賞論文「様々なる意匠」で文壇に登場し、翌年から『文芸春秋』に文芸時評の連載を開始。8(1933)年『文学界』創刊に参加し、「私小説論」(1935)を発表、14(1939)年には『ドストエフスキイの生活』を刊行した。戦時中は同時代文学から離れ古典芸術に傾倒し、「無常といふ事」(1942-43)等を著した。戦後でも審美的な姿勢は変わらず、『モオツァルト』(1946)、『ゴッホの手紙』(1951-52)、『近代絵画』(1954-58)を著し、晩年は大著『本居宣長』(1965-76)を完成させた。日本において本格的な近代批評を初めて確立した人物として評価されている。42(1967)年に文化勲章を受章。(小林秀雄|近代日本人の肖像|国立国会図書館 https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/6089/ 最終閲覧日:2024年10月19日)
<cocoroさんのプロフィール>
文豪や詩人達のエピソードを元にした漫画、「いとしの文豪」を描かれた方です。
また、11月2,3日に開催される、文学をテーマにした創作作品や資料の展示イベント企画、「週末文学室2」にも参加されるそうです。cocoroさんのアナログイラストや『いとしの文豪1・2』を見ることが出来るそう✨
2024年11月02日(土)10:00~17:00、 03日(日)10:00~16:00に、神奈川県鎌倉市古民家ギャラリーAKI様で開催されるそうなので、ぜひ💕
手のひらの金魚さんが発行されている、小林秀雄の中原中也追悼詩「死んだ中原」の挿絵も担当されたそうです。
―cocoroさんの本棚―
📖川端康成 「片腕」
📖坂口安吾「桜の森の満開の下」
📖三島由紀夫「仮面の告白」
余韻が残る、官能的で不思議な作品が好きです。
仮面の告白は、映画を見ているかのようなラストが特に好きで影響を受けています。
📖織田作之助「競馬」
📖中原中也「夏の夜の博覧会はかなしからずや」
大切な人が亡くなり、遺された者の悲痛な叫びにも思える作品で、どちらも漫画を描く際にインスピレーションを受けました。
1 文豪に関する漫画を描くようになったきっかけを教えてください。
作家の破天荒なエピソードから交友関係などに興味を持ち、調べていくに連れて自分で描きたいと思うようになり、ペンを握りました。
特に晩年についてはどの作家についても漠然とした知識しかなかったので、資料を読み、描きたいと強く思いました。
2 Cocoroさんは『いとしの文豪』という本を出されていますが、文豪の逸話や交流を描いた作品集を『いとしの文豪』と名付けた理由を教えてください。
エリック・クラプトンとジョージ・ハリスンの関係に由来します。
2人は親友関係にありますが、エリックはジョージの妻パティ・ボイドに恋をし、結果的にジョージが離婚後エリックはパティと結婚をします。その後も2人の親友関係は続きました。
エリックがパティへの愛を歌った「いとしのレイラ」を元にと名付けました。
太宰治や織田作之助についても描いているので文豪としています。
『いとしのレイラ』
太宰治の熱海事件を元に描かれた漫画。太宰の妻初代から、熱海にいる太宰にお金を届けて欲しいと頼まれた檀一雄でしたが……。『走れメロス』とセットで語られることの多いお話を、cocoroさんの絵で楽しむことが出来ます。
3 Cocoroさんは文豪のエピソードを漫画化する際に、どのような瞬間に、彼らに対して愛おしさを感じますか。
子供へ向ける愛情であったり、自分の悪態について反省の言葉を手紙に綴っていたり、人間らしい、我々と変わらない一面を見ると好きだなあと感じます。
中原中也はダダであったり退廃的な作品もありますが、子供を愛し、友人を求め、詩を叫び、不器用でしたが激しく命を燃やした姿に心を揺さぶられます。
※cocoroさんの描く中也を見ることが出来ます。きゅるきゅるしたお目がかわいいです💕
※こちらは、中原中也が結婚してからのエピソード。子をこの上なく愛し、友を想い生きた中也の姿を見ることが出来ます。
4 文豪関連の創作を見ていると、中原中也は、不器用で荒っぽい側面がある一方で、他者や文学への想いが熱い人物として描かれているように見えます。そのような「中原中也」像から、中也は様々な方から愛されている文学者のようにも見えます。創作作品を通して中原中也に関心を持っている方に、特にオススメしたいエピソードはありますか?
ビール瓶で中村光夫を殴るエピソードは有名ですが、その現場である四谷花園アパートに住んでいた頃の中也についての仲間たちの証言はどれもオススメです。
四谷花園アパートに住んでいた青山二郎の部屋に連日文学仲間が集うのですが、そこに中也もいました。
※青山二郎
少年時代から李朝陶器に関心を寄せ、収集して陶器の図録「鴎香譜」を刊行するなど陶磁器研究でも知られる。また若い頃は文学にも親しみ、小林秀雄、中村光夫、河上徹太郎、中原中也ら文章化や詩人などの交遊があった。著書に「陶経」「眼の引越」があり、戦後小林秀雄とともに創刊した「創元」に梅原龍三郎論、富岡鉄齋論を発表した。また装丁では中原中也「在りし日の歌」をはじめ多くの作品がある。(「青山二郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9778.html(閲覧日 2024-10-19))
討論が白熱して空気抜きのために廊下で叫んだり、大岡昇平と大喧嘩をしたり、目を患った奥さんを中也が手をひいて歩いてあげていたり、中也の荒い面と優しい一面が垣間見れます。
※大岡昇平
小説家、批評家、フランス文学者。
相場師、貞三郎の長男として東京牛込に生まれる。京都帝大仏文科卒。
成城高校在学中に家庭教師の小林秀雄を通して中原中也、河上徹太郎らと知り合う。
大学ではスタンダールを専攻、同人誌「白痴群」に参加した。
帝国酸素、川崎重工業などに勤務。
昭和19年(1944)召集されて、フィリピンのミンドロ島に赴き、翌年12月に復員。
昭和24年(1949)戦場の経験を書いた『俘虜記』で第1回横光利一賞受賞、続編を書きつぐとともに『武蔵野夫人』(昭和25年)『野火』(昭和26年、読売文学賞)など心理分析による知的な作風で活躍、『花影』(昭和33~34)、『レイテ戦記』(昭和42年)などを完成。
中原中也の評伝を20数年かけて書き継ぎ、紀行文、随筆などに文明批評、時代批評の健筆をふるった。(『大岡昇平|兵庫ゆかりの作家|ネットミュージアム兵庫文学館:兵庫県立美術館』https://www.artm.pref.hyogo.jp/bungaku/jousetsu/authors/a14/最終閲覧日:2024年10月19日)
『四谷花園アパート 文壇資料 (講談社)』という本で詳しく読めます。
ちなみに、同アパートに”日陰の白い茎のような”太宰を見た"という話もあります。
古書で買えるのでぜひ。
『四谷花園アパート 文壇資料』は国立国会図書館デジタルコレクションでも読むことが出来ます。(※利用の際は会員登録が必要です)
古本・古書の通販サイト、『日本の古本屋』でも購入することが出来ます。
4 近年、文豪ストレイドックスや文豪とアルケミストのような実在する文豪をモチーフとした創作活動が、積極的に行われています。Cocoroさんは、文豪のどのような側面が、文豪をモチーフとした創作を促しているとお考えですか。
漫画やアニメの設定のような、あるいはそれらを超える文豪たちの個性やとんでもエピソードであったり、文豪同士の交友関係も大きいのではないかと思っています。
教科書で習った作家同士が実は友人同士であったり、この2人は師弟だったのか、と接点を知った時のワクワクする気持ちは創作にもつながると思います。
モデルとなった文豪の言葉で綴った作品や書簡、日記が読めるのも、キャラクターから興味を持ったファンにとっては楽しみの一つなのではないでしょうか。
※キャラクター化される文豪達についてまとめられた記事。
5 もし、1人好きな文豪と会って話すことが出来るのであれば、誰と話したいですか。また、その方に3つだけ質問することが出来るのであれば、何を質問しますか。
正直誰とも会いたくないです笑
眺めている分には良いのですが、私では対等にお話ができる気がしません。
令和の今も教科書に載っていることについて文豪、詩人のみなさんにお話を聞きたいです。
6 世の中には、様々な文豪・詩人達のエピソードがあります。cocoroさんは、もしタイムスリップして見ることが出来るのであれば、どのエピソードを見てみたいですか? (ただし、cocoroさん自身は彼らに話しかけることは出来ず、彼らを見ることしか出来ないと仮定します)
中原中也と太宰治のモモノハナ事件の現場を遠くから眺めたいです。
中原中也と太宰治のモモノハナ事件。檀一雄『小説太宰治』で読むことが出来ますが、あまりのぶっ飛び具合に、何が起きたんだと気になることの多すぎるこのエピソード。確かに実際に見てみたいです!(近くで見ていたら危険ではありますが……)
5 2025年2月21日に、映画『ゆきてかへらぬ』の上映が開始されます。中也・泰子・秀雄の関係を描いた作品とのことです。この映画について、特に楽しみにしていることは何ですか。また、この3人に関するエピソードで、cocoroさんが映画で見たいなと考えている場面はありますか。
※ 映画『ゆきてかへらぬ』公式サイト
根岸吉太郎監督,田中陽造脚本の映画。
長谷川泰子役を広瀬すず、中原中也役を木戸大聖、小林秀雄を岡田将生が演じます。
2025年2月21日公開。
3人のそばにいた、大岡昇平や河上徹太郎なしではこの話は語れないと思うので、キャスティングなど含め今から楽しみです。
中原、小林双方と破局後も泰子と2人の交友関係は続いたのですが、恋愛映画にとどまらず、そこまで作中で描かれると、「奇妙な三角関係」独特の理解し難さが伝わるのではないかと期待しています(泰子の子供の名前を中也がつけたことなど)
※cocoroさんが三人の関係を漫画化した作品もございます。
6 私は破局後も泰子と中也と小林秀雄の交友関係が続いていたことや、泰子の子どもの名を中也が名付けたと知った際、3人の間にあったのは恋愛関係のみではないように思えて、不思議な感じがしました。cocoroさんは、3人のどのような側面が、こうした「奇妙な三角関係」形成のきっかけになったとお考えですか?
正直理解に苦しむ関係であると思います。
特に泰子については、同じ女性としての立場であっても理解することはかなり難しいです。
小林秀雄自身がこの関係について(人間は憎しみ合う事によっても協力する)と書いているのが全てだと感じています。
このようなことがあると、お互いもしくは一方が強く拒絶をすることが想像できますが、この3人はそうでなかったのが特例な気がします。
これはあくまで私の考察ですが、小林は中也に申し訳ない事をしたという気持ちがあり、中也はそれ以上に友人として小林を尊重し、泰子は気ままな人である印象を受けますので、2人ほど深く考えず関係を続けていたのでは…という解釈をしています。
それに加え、距離を置いた時期があっても文学活動や子供など、3人を繋ぐものがあったので長く関係が続いたのだと思います。
7中也・泰子・秀雄に関連するエピソードで特に好きなお話を教えてください。また、3人について興味を持った方にオススメしたい本や映画がございましたら、教えてください。
中也と泰子が慣れた調子で喧嘩をしているのを妬ましく眺めている小林。
その場に居合わせていた大岡昇平がその様子を著書に書いていたのですが、とても面白くて印象に残っています。
泰子が出ていった後も茶碗を2人分用意していた中也の健気さもたまらないものがあります。
おすすめの本は長谷川泰子「中原中也との愛 ゆきてかへらぬ」、大岡昇平「中原中也」に当時の様子が詳しく書いてあります。
長谷川泰子『中原中也との愛 ゆきてかへらぬ』
大岡昇平『中原中也』
20数年かけて中原中也の評伝を書いた大岡昇平。この本では泰子・秀雄・中也の三角関係の詳細や、大岡昇平の中也の詩を読んだ際の想い、中也やその周囲の人物との交流が描かれています。
古書でも買えるようなのでぜひ、読んでみてください。
8 『ゆきてかへらぬ』や『人間失格 太宰治と3人の女たち』のように、文豪の史実を土台とした映画が多く存在します。Cocoroさんが今後、映像で見てみたいと考えている文豪はいらっしゃいますか。また、もしキャスティングすることが出来れば、誰を選びますか。
織田作之助の映画が見てみたいです。
俳優さんに明るくないので具体的な名前が出てこないですが、指導が不要なくらいしっかり関西弁が話せる俳優さんが理想です。
※織田作之助
(1913-1947)大阪市の仕出し屋の家に生れる。三高時代から文学に傾倒し、1935(昭和10)年に青山光二らと同人誌『海風』を創刊。自伝的小説「雨」を発表して注目される。1939年「俗臭」が芥川賞候補、翌年「夫婦善哉」が『文芸』推薦作となるが、次作「青春の逆説」は奔放さゆえに発禁処分となった。戦後は「それでも私は行く」をいち早く夕刊に連載、1946年には当時の世俗を活写した短編「世相」で売れっ子となった。12月ヒロポンを打ちつつ「土曜夫人」を執筆中喀血し、翌年1月死去。(『織田作之助|著者プロフィール』新潮社 https://www.shinchosha.co.jp/writer/1101/
最終閲覧日:2024年10月20日)
ちなみに横光利一役は斎藤工さんがいいなとずっと思っています。
斎藤工さんの演技力はもちろんですが、単純にお顔立ちが似ていると個人的に思っています。
※横光利一
小説家。
大正12(1923)年菊池寛創刊の『文芸春秋』に参加。同年『日輪』『蠅』で文壇に登場。13年川端康成らと『文芸時代』を創刊し、新感覚派の文学運動を展開。14年プロレタリア文学を仮想敵とした評論『感覚活動』を書き、後に「形式主義文学論争」を交わす。最初の長編『上海』(1928-31)以降、心理主義の手法を採り入れ、『機械』(1930)、『時間』(1931)等を著す。昭和10(1935)年「純文学にして通俗小説」を提唱した『純粋小説論』が文壇に大きな反響を呼ぶ。11年から欧州に半年間滞在し、その体験をもとに未完の大作『旅愁』(1937-46)を執筆した。(国立国会図書館『横光利一|近代日本人の肖像』https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/6087/
最終閲覧日:2024年10月20日)
9 織田作之助が主人公の映画の脚本を書くことが出来るのであれば、どのようなストーリーにしたいか、教えてください。
一枝さんとの結婚から晩年まで。
舞台で昭子さんを口説く場面は必ず作中に入れたいです。
質問内容とは少し逸れますが、昭子さん目線での脚本を書いてみたい気持ちの方が強いです。
織田昭子『わたしの織田作之助 その愛と死』:織田作之助の死を看取った女性が描かれた本です。個人的にはこの本に出てくる織田作之助は、ドラマに出てきそうなかっこよさがあり、ぜひ映像で見てみたいなと感じました。
10 昭子さん目線での脚本を書いてみたい気持ちが強いことに理由があれば、教えていただけますか?
昭子さんや太宰における富栄さんなど、女性側の日記や著書に感情移入するので、彼女たちの愛と葛藤を表現してみたいです。
山崎富栄の日記の一部。青空文庫で読むことが出来ます。
今回、cocoroさんの文学者のエピソードについてのお話を聞かせていただく中で、私たちが文学者達のエピソードに惹きつけられる理由が見えてきたような気がしました。
また今回のインタビューを通して、小林秀雄・中原中也・長谷川泰子の三角関係を、新しい角度から見ていくことが出来ました。映画『ゆきてかへらぬ』の公開が楽しみです。
cocoroさん、本当にありがとうございました!
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