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「今日も取材日和」 佐々木明子



「極限の状態の中で私の心に刻まれたのは、マスコミの力だった。」



「今日も取材日和」 佐々木明子



我が家ではテレビ東京をよく見ています。


個性があって、低予算でもおもしろくて楽しくて、幸せな気持ちにさせてくれるテレビ東京の番組。自然にチャンネルをいつも「テレ東」へとあわせてしまいます。


朝は経済番組の「モーニングサテライト」を見ています。


とくに株をやっているわけではないし、経済にも明るくないのですが「リーダーの栞」という経営者や会社のリーダーが影響を受けたビジネス書を紹介するコーナーがかつてありまして、それが「モーニングサテライト」を見始めた理由の1つであります。


「リーダーの栞」は、会社の成功の秘訣や起業するきっかけ・決断、最大のピンチをチャンスに変えた本の言葉を取りあげ、ビジネス書の紹介をしていました。


その言葉に触れているだけで非常にためになりますし、その紹介された本を読むことも少なからずありました。


元・モーニングサテライトの司会者であり、この本の著者・テレビ東京アナウンサー佐々木明子さんも、「リーダーの栞」で経営者や、日銀総裁、東京都知事と対談し、ビジネス書の紹介をされていました。


佐々木明子さんは現在、夜の「ワールドビジネスサテライト」の司会をされていますが、かつてはスポーツ担当のアナウンサーだったんですね。


この本が出版されたのは2000年なので、今から約22年も前です。その頃のプロ野球の取材の模様が多く収録されていました。


とくに巨人の長嶋監督のお話が多くて、どのエピソードも微笑ましく印象的でした。佐々木さんも長嶋監督に魅了された1人なのでしょう。文章のオーラが波打って伝わってきました。

「おや、来ていたんですか。今日はお天気もいいし取材日和でしょう」  宮崎の青空が長嶋監督にはよく似合う。毎年訪れる巨人のキャンプは、私の心の風物詩だ。


「今日も取材日和」

長嶋監督との会話が、この本のタイトルです。


長嶋茂雄さんの明るい、宮崎の空のようなお人柄が溢れているエピソードがありました。

「巨人ファンですか、そうですか、どちらからいらしたんですか?」

問いかけられたおばさんは
「宮崎市内からです」
とどきどきしながら答える。

すると「宮崎ですかあ、そうですか、そしたら九州地方だ」と監督。


また

「おや、佐々木さん。いつ来たの、今日?
何で来たの、ん? 飛行機?」


宮崎は九州だとみんな知ってるし、東京から船で来る人はまあいないでしょう。(笑)


なんとも憎めない、人の心を明るくする長嶋さんのエピソードがこの本に溢れています。


こういったスポーツの取材、奮戦記がメインですが、とても心に残った取材の話がありました。


取材とありましたが、正確に言うと取材ではありません。


1995年の阪神淡路大震災。


佐々木さんはいつも通り、スポーツニュースを担当していました。


時折、臨時ニュースが飛び込んできます。


画面には、燃え続けている神戸の街の様子が映し出されています。


いつもだったら笑顔でスポーツの結果を言えるのに、その日はダメでした。暗い顔のままテレビの画面に映ってしまいました。


担当デスクは怒鳴ります。


「視聴者がおまえの暗い顔を見て、楽しめると思うのか?」と。


佐々木さんは会社に入ってはじめて、人にたてついたと語っています。

「神戸が燃えている映像の後で楽しそうに言えるわけありません。言えと言われても、それは私には絶対にできません」

(中略)

頭ではわかった。けど納得はできなかった。自分の良心との葛藤だった。


その後、自分ならこう伝えたいという想いが溢れ出し、プライベートで神戸へと向かいます。


なので、仕事としての取材ではなく、
自分自身の気持ちと向き合うためでした。


震災当時の神戸は、何かに破壊されたと言ってもいいくらい、行けども行けども戦争の跡のようでした。


僕は神戸の人間で、震災当時は車通勤で、通常なら1時間くらいの職場なのに、地震直後は6時間もかかりました。


自衛隊の車とひっきりなしにすれ違いました。サイレンの異様な音が鳴り続けている中、余震が何度も襲いました。公衆電話には長い列ができていました。水をもらうために長い列ができていました。異様な光景ばかりが目に入ってくるのでした。


佐々木さんは、こう語っています。

電車はまだ復旧しておらず、バスの乗り継ぎとあとは徒歩・・・。

どこもほこりまみれの人でいっぱいで、長蛇の列に並んで乗ったバスは、わずか2駅分の距離でも1時間以上かかった。

窓の外に広がる光景は・・・何もかもぺしゃんこだった。

高い建物が見つからない。視界が異様に開け、薪木のような木片がひと山、ふた山。それが崩壊した一軒家の家だと気づくのに時間はかからなかった。


佐々木さんは歩き回り、まだくすぶり続ける家の下に人が埋まっているかもしれないと思うと、自分自身に対する情けなさ、嫌悪感が込み上げてきました。

何の役にも立たない私がなぜ今ここにこうしているのか。情けなさと悲しさで、涙があふれてきた。

くすぶる路上で一人で泣いていても、誰も気に留めなかった。

あの時、誰もが涙を枯れ果てさせていたから。


佐々木さんはこう思いました。

極限の状態の中で私の心に刻まれたのは、マスコミの力だった。人のために正しい情報を提供すること。これが最も簡単な、そして大事な発見だった。


インフォメーションテクノロジー・ITが進化し、かんたんに情報が共有される今。正しい情報の提供というものがどれだけ重要で難しいのか、そのことをこの本を読みながら考えました。

普段の生活がぬるま湯に感じられ、心に贅肉がつきそうになると、あの時の気持ちを思い出すために何度も訪れる街・神戸。


こんな気持ちでいてくださった佐々木明子さん。
今日(1/17)も神戸からご活躍をお祈りしています。



【出典】

「今日も取材日和」 佐々木明子 旺文社


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