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「心配事の9割は起こらない」 枡野俊明

「ひた走る人生もそれはそれでかまわないと思いますが、禅語は、止まることは決して悪いことではない、むしろ、大事なことなんですよ、と教えています。」



「心配事の9割は起こらない」 枡野俊明



著者の枡野俊明さんは、お寺の住職。


枡野さんは、たくさんの人からさまざまな相談を受けるのだそうです。とくに不安や悩み、迷いといったもの。


相談者の話に耳を傾けていると、そのほとんどが「妄想」や「思い込み」「勘違い」「取り越し苦労」にすぎないというのですね。


僕は、事あるごとに落ち込むことがあります。


たしかに、いったん悩みが過ぎ去ってしまうと、「たいしたことがなくてよかった」ということもよくあったんですよね。


枡野さんは「なんでもないことに」に振り回されてしまっている人が多いという現実に端を発し、この本に『心配事の9割は起こらない』というタイトルをつけました。


各稿に


禅にこんな言葉があります。


からはじまって、そのあと禅語の解説がつづきます。


こんな話がありました。


「ここまでの人生、ひたすら目標に向かって走り続けてきた」

成功した人のそんな言葉を聞くと、すごいな、と思うと同時に、自分に置き換えてみて、

「自分はなんと、立ち止まることの多い人生だろう。やっぱり、なまけ心に負けているのかな?」と思ったりすることがあるかもしれません。


僕は後者の人間で、常に何かにぶつかり、その都度立ち止まってしまい、何かとクヨクヨと考えてしまうタイプなんです。


枡野さんは、こんな禅語を挙げています。


七走一座しちそういちざ

七回走ったら、いったん座ってみよ、ということです。

ひた走る人生もそれはそれでかまわないと思いますが、禅語は、止まることは決して悪いことではない、むしろ、大事なことなんですよ、と教えています。


立ち止まることで自分を見つめ直すことができ、それまでの自分を振り返ることができるのです。


躓きや失敗には必ず原因があり、その原因を解析することが先に進むよりも大切なんですね。


それを立ち止まらずに放ってくと、のちのち、はるか遠くまで進んでしまったときに、取りに戻らなければならなくなったりする。要するに、同じ失敗をくり返すことにつながるのです。


一日に一回止まって考えてみる。


止まるの上に一をのせると「正」になります。


一日に一回、止まって自分を顧みることは「正しい」ことだというわけです。


もうひとつ印象的だった話が


ひとづきあいには大事な原則があります。
キーワードは「じょ」です。


僕は人とつきあうのが不得手です。


しかし


仕事をしていると、そうも言ってられません。


枡野さんは、苦手な人づきあいから脱却するのはそれほどむずかしくないといいます。


それが「恕」だと。


「恕」は「論語」に出てくる言葉です。
孔子とその弟子・子貢しこうがこんな対話をしています。


子貢が孔子に、一生守るべきもっとも大切なことはなにか、と尋ねると、師はこう答えます。

「それは恕であろう」

恕の意味は「許すこと」「思いやること」です。

そして、孔子はさらにこう続けたのです。

「おのれの欲せざるところ、人に施すことなかれ」

この言葉は知っている人も多いのではないでしょうか。自分がしてほしくないことは人にしてはいけないということですね。これが「恕」の精神。

人づきあいの原則も、また、この「恕」の精神にあります。

自分がされていやだな、と感じたことは、人に対してしない。それを実践するだけで、人づきあいは確実に変わっていきます。


人間関係の悩みは、多くの人が抱えていると思います。


「恕」の精神で、自分が日頃感じているいやなことを、周りの人にしないようにするといい変化が起きるのですね。


さらに


人からされて嬉しかったこと、ありがたかったこと、幸せに感じたことを実践すると周りから「また会いたい」と思ってもらえるようになるのです。


人間関係もそうですが、人を喜ばせることで、自分も周りも幸せにします。そして、今が苦しい状況なら、そこから抜け出すのは、「恕」の精神と人を喜ばせることなんだと思うのです。



【出典】


「心配事の9割は起こらない」 枡野俊明 三笠書房


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shinku  |  読書ヒーリング
いつも読んでいただきまして、ありがとうございます。それだけで十分ありがたいです。

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