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「風の電話」 佐々木格


「多くの方がなぜ「風の電話」に来るのか、来たいと思うか・・・・・・大切な人を亡くした方には分かっているのだと思う。「風の電話」に来て、線のつながっていない黒電話で話しかけるのは、その亡くなった人に対する「祈り」なのだと・・・・・・そして、それが自分の癒しに繋がっているのだということを理解されているのだと思う。」




「風の電話」 佐々木格


今年は、東日本大震災が起こって11年目。


昨日「風の電話」をもとに作られた、いもとようこさんの絵本の記事を書かせて頂きました。


僕が「風の電話ボックス」のことを知ったのは、NHKで「風の電話」の放送を見たことによります。


今日は「風の電話ボックス」をご自宅の庭に作られた、佐々木格さんご本人の著作からご紹介します。

風の電話は心で話します

静かに目を閉じ 耳を澄ましてください

風の音が又は浪の音が或いは小鳥のさえずりが聞こえてきたなら あなたの想いを伝えて下さい


「会えなくなった人へ想いを伝えたい・・・・・・」


ひとりきりになって電話をかけることができ、相手に想いを伝える『空間』、『場』を提供したい。大切な人を亡くしたり、会えなくなってしまった人たちのために。

見えるものだけをみる、聞こえるものだけをきくのではなく、目を閉じ想像力を働かせることで見えないものも観え、聞こえなかったものも聴こえてくる。

自分の考えが、心の部分ではっきりと見えてくる。何千年、何万年前のことも想像力を働かせ感性で見ることができる。

現代のように知識や技術が発達している社会こそ、感性を磨き「心で見る、心で聞く」ことが大切になっているのではないだろうか。


佐々木さんのそんな想いから「風の電話ボックス」は誕生しました。


それまで佐々木さんは、田舎暮らしの夢をずっと抱いていました。


その夢が現実味を帯びてきたのは、1998年9月、佐々木さんが希望していた土地を手にしたことでした。


そこで、ガーデンをつくり、グリーンが活き活きするガーデンのオブジェとして、電話ボックスを置くことを考えました。


ガーデンのオブジェから、亡くなった人への想いを伝える「風の電話ボックス」に発想が切り替わったのは、従兄のヒロさんの闘病生活と、その後のヒロさんの死でした。


佐々木さんは悲しみの中、亡くなったヒロさんと話をしたいと思われたのでしょう。


そして


2011年4月20日、「風の電話」が完成しました。


東日本大震災の約1ヶ月後のことです。


震災と犠牲者を目の当たりにした佐々木さんは、こう語っています。

なぜ幸せの絶頂にあり結婚式を間近に控えた二人が、犠牲にならなければならなかったか。

なぜ、わが子の誕生を待ち望んでいた妊婦が、犠牲にならなければならなかったか。

なぜ、まだ歩くこともできない赤ん坊を、母親の手から奪っていかなければならなかったか。

なぜ、小学校の入学を前にランドセルを背負い、楽しみにしていた子供が犠牲にならなければならなかったか。

なぜ、寝たきりで動くことが出来ない病人やお年寄りが、犠牲にならなければならなかったか。

このかけがえのない人達が一体何をしたというのだ。

どんな罪を犯したというのか。何の報いで、これほどの恐怖と苦しみ、悲痛を受けなければならないのか。


従兄の死から発想した「風の電話」。


震災で大切な人を亡くされた方に「風の電話」は、今こそ重要な意味を持つと佐々木さんは考えました。


ある時


高野山のお坊さんが、このガーデンに来ました。

「この電話ボックスは良い場所にありますね」


と、お坊さんは言いました。


つづけて、福井県で起こった災害後のお話をされました。

「災害後心のケアが必要だと町の中に相談所を設けたのですが、誰一人として相談に訪れる人はいませんでした。

ケアを必要とする人たちの悲しみ、苦悩する姿を見られたくないという心理状態を理解せず、形を整えても駄目なのです。

ですから、どこにあっても良いというわけではないのです。その点ここの電話はケアを受ける人の気持ちを解っていると思います」


こうして東日本大震災から、たくさんの悲しみに「風の電話」は寄り添ってきました。


電話ボックスの中のダイヤル式の黒電話のとなりには、ノートが置かれています。

2014・5・13

お母さんへ

独りでも生きていけるよう、強い子に育てていくのが私の子育て。と言って私を育ててくれました。

お父さん、お母さんが亡くなり、兄弟もなく仲の良い友達が何人も亡くなってしまうと本当に淋しくて、こちらで独りがんばっていることが苦しくなります。親しい人が多いそちらに行きたくなることが度々あります。

お母さんに会える日まで、私がこちらで頑張って生きていけるよう見守っていてください。会いたいです夢でもいいから会いたいです。



2014・6・12

父ちゃんしばらくだね、二人で話しするのも涙になってなにを話していいか頭に出ない。一日でいいから夢ではっきり会いたいよ。


2015・3・5

お父さん、お母さんどうしていますか?
私たちは皆元気でいますので安心してください。また会いたい・・・・・・あいたいです。

やっと来ましたよ!もうすぐまた3・11がやって来ます。元気でいますから安心して見守っていて下さいね!お母さんの誕生日ここにこれて良かったよ!

(「風の電話」ノートより 出典:「風の電話」)


他にもノートには、遺族の「会いたい」という思いがいっぱい綴られていました。

泣きたいときには何時でも「風の電話」に来て、思い切り泣いていけばいい。やがて思い出を慈しむ〝あたたかな涙〟に変わる時が来るだろう。

また何度来ても電話を取れない人、ボックスに入る気持ちになれない人など悲しみ、苦しみ、辛さ、悔しさは個人差が大きく、心の復興には何時それ何時までに元の日常を取り戻す、と期日を設定することは難しく、長い寄り添いが必要になる。

「風の電話」を訊ね来られる方に静かに寄り添って「よく来たね」「大丈夫ですよ」と声をかけてあげなければならない方がまだ大勢いる。

それらの方々に想いをかけ、思いをはせることを常に心せねばならない。


今「自分にできることは何なのか」を心に問いかけるということ。


今「誰かに寄り添う」ということ。


そのことを、とても速く過ぎ去ってゆく時間の中で見落としているのではないか、彷徨っているのではないかと、自分自身を省みて真剣に考えさせられた本でした。

「風の電話」という場は、深い悲しみのなかにある方々が、本来持っているご自分の生活力を取り戻すため、自分が主体的に行動することを促していくところである。

その結果、人々は、自らの力で、自身の治癒力を呼び覚まし、過去から将来へと意識の向け換えが出来るようになると考える。



【出典】

「風の電話」 佐々木格 風間書房


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