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「しゃべれども しゃべれども」 佐藤多佳子



「私は、私から逃げるのをやめようと思ったの。どんなに嫌いな自分でも真っ向から見つめてみようと思ったの。」



「しゃべれども しゃべれども」 佐藤多佳子



人前で、上手く喋ることができない。

会話が得意でない。

人前で話すことが怖い。あるいは、緊張する。

話すことに、コンプレックスを感じている。


このことが一つでもひっかかりましたら、この本があなたの気持ちを楽に、あるいは、応援してくれるのではないかと思います。


上手く喋る方法が書かれているのではありません。


人前であがらなくなるわけでもありません。


別にそれでいいと感じます。
上手く喋れなくてもいいと感じます。


僕は人前で上手く喋ることができませんし、緊張しまくって何を言っているのかわからなくなることが多々あります。


この本を読むと、上手く喋れなくてもいいんだと思いましたし、逆に上手く喋れなくても、根拠のない自信が生まれました。それよりももっと大切な何かを感じました。それは、とてもあたたかいものでした。


落語家・今昔亭三つ葉は、古典落語をとても愛していて、普段着はいつも和装。落語家では、前座より少しえらくて二ツ目という身分。さらに位が上がると真打ちになります。


喋りのプロ・今昔亭三つ葉は、ひょんなことから落語を教えることになりました。


生徒はすべて、喋ることにコンプレックスを感じている人たち。


対人恐怖症で 吃音症であるテニスコーチ。三つ葉の従兄弟。


美人だけど、不器用でつんけんしている、なんか「黒猫」のよう。口下手のため失恋した元劇団の女優さんでOL。


幼い頃 関西に住んでいて、学校では関西弁で生意気なので、いじめにあっている小学生。


憎まれ役、刺客と言われた元プロ野球選手。現・プロ野球解説者。しかし、マイクの前だと緊張して喋れなくなってしまうプロ野球解説者。


このような話すことが苦手な人たちに、噺家・三つ葉は落語を教えることになったのです。


三つ葉は気が短くて頑固でおせっかい。だけど優しくて、人のことがほっとけない不器用な紳士。


だから、いつも真剣に彼らのことを考えるのですが、彼らは喋りが上手くなりたいのか?真剣なのか?落語は覚えないし、4人の仲も悪いし、常に思い悩みます。


しかし


いつの間にか表面においてはわからないのですが、4人の絆が強くなっていました。お互いの存在がなくてはならなくなっていました。落語が好きになっていました。


上手く喋ることができなくても、喋ることが不器用でも、彼らは元気になっているのです。自分が好きになっているのです。


最後の落語の発表会はそのことを総括していて、気持ちが躍動します。とくに小学生の村林少年に!


黒猫のような十河五月は、三つ葉にこう言います。

「私は、私から逃げるのをやめようと思ったの。どんなに嫌いな自分でも
真っ向から見つめてみようと思ったの。」

(中略)

「あなたに会えてよかった」

十河というのは、本当に思いがけないタイミングで思いがけない言葉を口にするのだ。

「みんな、そう思っているのよ」


不器用な人たちが1つのことに思いを込めることによって、いつしか心の奥深くで手をつないでいる。(ラストはとくに・・・)


コンプレックスは、真実(ほんとう)の自分を知るための引き金になるんだ。だからこそ、コンプレックスは持っていていいんだと、この本を読んで元気をもらいました。




【出典】

「しゃべれども しゃべれども」 佐藤多佳子 新潮社


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