映画評 あんのこと🇯🇵
『SR サイタマノラッパー』『AI崩壊』の入江悠が監督・脚本を務める、ある少女の壮絶な人生をつづった2020年6月の朝日新聞に掲載された記事から着想を得た人間ドラマ。
売春や麻薬の常習犯である21歳の香川杏(河合優実)は、ホステスの母親と足の悪い祖母と3人で暮らし。子どもの頃から母親に殴られて育ち、小学4年生で不登校、12歳の時に母親の紹介で売春に手を出す。刑事の多々羅(佐藤二郎)との出会いを機に、更生の道を歩み出した杏は、多々羅や彼の友人であるジャーナリスト・桐野(稲垣吾郎)の助けを借りながら、新たな人生を歩み始める。しかし突然のコロナ禍によって3人はすれ違い、それぞれが孤独と不安に直面していく。
売春、薬物、リストカットの傷跡、そしてこの世の全てに絶望した杏の表情。冒頭のホテルでのワンシーンは、絶望を忘れ、生きていくためにやるしか無い現状であると想像しやすく、彼女の人生がどん底に沈んでいることが分かる。
杏の壮絶な人生の始まりはネグレクトで暴力的な母親の下に生まれてきてしまったことだろう。家庭環境によって子供の成長や将来への選択肢が決まるように、杏もまた親ガチャによって人生が狂わされた一人。しかも、彼女が更生しようとする度に毒親が現れては、彼女を地獄へと引き戻そうとする。母と娘の関係性は愛情という名の呪縛だ。切りたくても切れない関係性に苦しめられるの杏の姿は見ていて辛くなる。
社会からの厳しい視線も杏を売春やドラッグへと突き進める。学がないことで採用を見送られ、年齢を理由に生活保護を受給できない。杏の社会的繋がりは売春しかない。「自己責任」がこれほどまで過大な意味として捉えられている社会が異常であるかのように、彼女を通じて社会の厳しさと不寛容さを表していく。
絶望の中を彷徨いながらも、杏の生きたいという願いは切実だ。刑事の多々羅やジャーナリストの桐野をはじめ、様々な人たちの力を借りながら更生を目指していく。
はじめは表情が固く、他人を信用していない感じに見て取れたが、セルフヘルプグループに通い続け自分の言葉で話せるようになったり、就職先や住処が決まり学校にも通い出す。トラブルに巻き込まれた際は周りの人達が親身になって助けてくれたりと、杏の表情に希望が見え始める。「これからちょっとずつ頑張っていこう」と見ている間、応援する気持ちが芽生える。
しかし、杏の希望は長く続かない。彼女がこれまで積み上げてきたものが崩壊し、希望が絶望に変わる跳ね返りを受け止め切れない姿は胸が痛くなる。さらに、以前の自分に逆戻りし、残されたのは嫌いな自分ただ一人。何もかも失うだけでは飽き足らない神の悪戯でなければ何と言い表せようか。
コロナウイルスの蔓延もこれまでの繋がりや積み重ねを崩壊させる決定的な要因となる。仕事や学校は閉鎖され、社会的な繋がりがなくなってしまう。困った時に頼れる人や助けてくれる人も居らず、孤独へと貶められる。これまでの努力が泡となり、時計の針が強制的に巻き戻される。努力や時間が牙を向いて襲いかかる杏の人生は、見ていて辛いものであった。