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映画評 DOGMAN ドッグマン🇫🇷

(C)Photo: Shanna Besson - 2023 - LBP - EuropaCorp - TF1 Films Production - All Rights Reserved.

グラン・ブルー』『レオン』のリュック・ベッソン監督による、少年が犬用ゲージに閉じ込められた実際の事件から着想を経た、バイオレンスアクション。

ある夜、1台のトラックが警察に止められる。運転席には負傷した女装男性、荷台には十数匹の犬が乗っていた。「ドッグマン」と呼ぶその男は、警察の取り調べで、少年時代のトラウマや犬に育てられてきた自らの壮絶な半生について語り始める。

人間より犬の方が信用できる思想、荷台に積んである多種多様の犬たち、マリリン・モンロー風の女装。ドッグマンの見た目や思想の形成には、キリスト原理主義者である父親の存在影響している。

キリスト教における父親の存在は、子供を正しく清らかに教育し、神の真理を伝える役割を持つ、つまりは、子供にとっては神のような存在だ。しかし、ドッグマンは神であるはずの父親から虐待を受けて育つ。

父親は闘犬用の犬を多種多数飼育している。聖書における犬は愚か者の比喩や野蛮で汚らしい生物として記される。野蛮な生物を支配し飼い慣らしたい支配欲のメタファーでもあり、自身を神のような存在として認識していると見て取れよう。

闘犬用ゲージに入れられたドッグマンは、GODの反対はDOGと読むことに気づき、自らをドッグマンという神として奉る。犬と自身の関係を従属ではなく共生として、野蛮生物ではなく賢者として見つめ直す。さらに、初めはメイクや髪型、やがて女装と、歳をとるたびに父親から程遠い存在になろうとする。つまり、キリスト教的価値観からの脱却を試みたのがドッグマンなのだ。


(C)Photo: Shanna Besson - 2023 - LBP - EuropaCorp - TF1 Films Production - All Rights Reserved.

ドッグマンはダークヒーローとしての魅力もありながら、社会から虐げられた悲しきヴィランとしての魅力も兼ね備えたキャラとなっている。

父親から銃で撃たれた時や、愛する者からの失恋をした際、闘犬たちが駆け寄るシーンは『バッドマン リターンズ』のキャットウーマン誕生を想起させられる。ドッグマンにとっては犬以外信じられるものがいない悲壮感もありながら居場所を見つけた安堵感もある。

また、愛する者との関係性、福祉や行政の手薄いサポートを受けることができず、結果的に犯罪に走ってしまう過程は『ジョーカー』のようだ。ドッグマンは社会的マイノリティを体現しているとも言える。

ドッグマンが扮する女装もカタルシスに満ち溢れる。失恋し、想いが届かなかった初恋の相手を自分の中に昇華させるためだ。ゲイ・キャバレーに出演し、数々のスターに扮してパフォーマンスをするのは、女優志望であった彼女に扮するためだ。愛する者を失った嘆きを歌詞に反映させている、エディット・ピアフの『群衆』は気の利いた演出といえよう。

もう一つ、失踪した母親からの愛情に飢えていることも大きく影響している。愛されることを知らないドッグマンは女装することで母親の気持ちを理解しようとする。奇しくも彼には子供のように可愛がる犬たちがいる。

失恋した彼女、失踪した母親という理想化された女性像の女装をする点では『羊たちの沈黙』のバッファロー・ビルに近い。しかし、彼との唯一の違いは最終的には弱者を救済したことにある。ドッグマンを取り調べていた女性精神科医のもとにドーベルマンを派遣させていたと見ると、弱者を助けたGODになれたのかもしれない。


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