映画評 オッペンハイマー🇺🇸
ピュリッツァー賞を受賞したノンフィクション『「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』をベースに、『ダークナイト』『TENET テネット』のクリストファー・ノーラン監督によって映画化。
第2次世界大戦中、物理学者のロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)は、核開発を急ぐ米政府のマンハッタン計画において、原爆開発プロジェクトの委員長に任命される。しかし、実験で原爆の威力を目の当たりにし、恐るべき大量破壊兵器を生み出したことに衝撃を受ける。戦後、さらなる威力をもった水素爆弾の開発に反対するが、赤狩りの魔の手が忍び寄る。
クリストファー・ノーランの映画といえば、時系列が入れ替わる脚本、IMAXを取り入れるなどの技術的革新、徹底的なリアリティ路線などが浮かび上がるだろう。本作『オッペンハイマー』は、ノーラン監督の作家性が詰まった集大成でありながら、政治映画として新たなチャレンジを試みた意欲作だ。
本作で最もノーラン監督の作家性が表れていたのは、時系列を組み替えた時間操作だ。①オッペンハイマーが原爆を作り上げ日本に投下するまでの過程、②赤狩りを背景とした機密保持許可を問う「聴聞会」、③ スタローク視点による「商務長官」任命是非を問う公聴会と水爆開発を巡るオッペンハイマーとの対立シーン。時系列が異なる3つの視点を通じて、オッペンハイマーという人物を丸裸にする。
また、時系列の入れ替えには規則性はなく、言うならばキリの良いところで入れ替わる。一見、悪意ある悪戯のように見えるが、なぜ原爆を作るに至り、反対するに至ったのかの軸に沿って物語が進行していくため、規則性がないのが逆に心地よく、サスペンスを堪能しているかのようで画面に釘付けになる。
さらに、オッペンハイマー視点はカラー、スタローク視点をモノクロとした、視点の規則性を設けたことで、誰の視線でオッペンハイマーを描かれていかのか理解できるようになっている。人や状況が違えばオッペンハイマーのあらゆる側面を描く機能として成立していた。
ノーラン監督の映画に共通するものは、強大な力を生み出した行先であろう。『ダークナイト』では正義が暴走し、『インセプション』では欲望を具現化した末路に愛する人を失う。
特に初期作品は顕著で『メメント』『インソムニア』『プレステージ』では手に入れた力や権力を私利私欲のために用いる。『インターステラー』と『TENET テネット』では敵側に傾向が見える。手に余る強大な力には、逆に支配されてしまう姿を描いてきたように見える。
インドの聖典『バガバット・ギーター』の一説、「我は死なり、世界の破壊者なり」が象徴するように、オッペンハイマーが作り上げた世界は、新たな戦争への幕を開けだ。
各国で行われる核開発、核開発反対派を反国者として貶める政治的圧力、我が物にしようとする政治利用、世間からの重圧と神聖視するかのような黄色い声援。手だけでなく、心も血で染める人たちを生み出してしまった。ノーラン監督がこれまで描いてきた制御不能な力に支配された行く末とリンクし、人から世界へとスケールを大きくする。
また、原子力爆弾を巡る政治的思想のぶつかり合いや、小さなプライドを刺激され激怒する醜さ、咎めたことを撤回してもらうかのような授賞。人は強大な力を前にすると小さな存在であることを政治視点から描く。原爆を落とされた日本描写がないことや勝者側の苦悩ということもあり賛否はあるが、反戦を訴える映画としては十分だ。アトラクション要素が強かった『ダンケルク』から一皮剥けている。
オッペンハイマー自身は物理学の限界に挑戦し、新たに発展させていく好奇心や探究心に満ち溢れる純粋な気持ちで原子爆弾を作っていたように見える。ある種の物理学という未知なる世界に取り込まれてしまった結果、パンドラの箱を開けてしまう皮肉を込めて。