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映画評 トラップ🇺🇸

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シックス・センス』『サイン』のM・ナイト・シャマランが監督・脚本による、巨大ライブ会場に仕掛けた罠を潜り抜ける警察とライブ会場に訪れた凶悪な殺人鬼による攻防を描くサスペンススリラー。

娘想いの父親でありながら、残忍な殺人鬼の一面を持つクーパー(ジョシュ・ハーネット)は、娘ライリーのためにアリーナライブへと一緒に赴く。しかし、クーパーが訪れたライブは、自身が訪れるというタレコミによって警察が仕掛けた、ライブというトラップであった。

M・ナイト・シャマラン監督のイメージといえばラストの大どんでん返しや摩訶不思議な出来事が主人公らに襲いかかるホラーが強いかもしれない。だが筆者個人的にはシャラマン監督が描こうとしているのは家族であると考えている。

代表作『シックス・センス』はラストの印象があまりにも強すぎるため見逃されがちだが、摩訶不思議な現象によって壊れてしまった家族の絆を取り戻していく過程に感動を覚える。『サイン』や『オールド』は崩壊した家族の絆の再生に加え、共に困難を乗り越えていくカタルシスがある。『アンブレイカブル』3部作も家族がトリガーになっているなど、シャラマン監督作品には家族はどんでん返しやホラーよりも鍵になっている。

本作の殺人鬼であり娘想いの父親でもある主人公クーパー視点で物語が進行するのも正にシャラマンが描きたかった家族を撮るためだ。クーパーは娘のためにライブへと連れて行き、学校で起きたトラブルに耳を傾ける。しかも娘とアーティストが一緒にステージで踊る機会を作り出すなど、殺人鬼であること横に置けば素晴らしい父親だ。

クーパーの人物像は『スプリット』『ミスター・ガラス』のケビンと共通点が多い。多面性によって苦悩を抱えていることや家族がトリガーになっていることなど。上2作はケビンの描き方に批判も多いが、苦悩に寄り添っているようにも見えた。「モンスターを抑えてきた」というクーパーの台詞や「全て受け入れる」「全てがモンスターではない」彼の心の声は、苦悩というべきして何というか。

シャラマン監督が描く家族の色濃さ、ライブ会場からどのように抜け出すかのサスペンスは素晴らしいのだが、クーパーがとある人物に殺人鬼であることを打ち明けて以降、劇的に退屈になってしまった印象を受けた。

バレてはいけないフックを簡単に外してしまう突拍子の無さや最後に捕まる壮大なフリになってしまい、「どうにかして切り抜けられる方法はないかと」期待していた分、悪い意味で裏切られることになった。そして張り巡らされていた様々な謎や回収方法はあまりにも凡庸。

シャラマン監督自身が家族に囚われすぎ問題も浮上する。本作に登場するアーティストは監督の娘でありながら、本企画の発案者でもあるサレカ・シャラマン。クーパーと対峙し事件解決の鍵として大きく関わるのだが、アーティストという立場だけに留まるならまだしも、あまりにも目立たせすぎで、娘を出演させることが目的なのではと錯覚するほど。身内を出演させる映画は珍しくはないが、長い時間大々的に見せられては内輪ノリや監督の都合を見せられているようで、居心地の悪さを感じてしまった。

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