映画評 パスト・ライブス/再会🇺🇸🇰🇷
海外移住のため離れ離れになった幼なじみの2人が、24年の時を経てニューヨークで再会する7日間を描いたラブストーリー。長編映画監督デビューとなったセリーヌ・ソンが務める。
韓国・ソウルに暮らす12歳の少女ノラと少年ヘソンは、互いに恋心を抱いていたが、ノラの海外移住により離れ離れになってしまう。12年後、24歳になり、ニューヨークとソウルでそれぞれの人生を歩んでいた2人は、オンラインで再会を果たすが、互いに思い合うも再びすれ違ってしまう。そして12年後の36歳、ノラは作家のアーサーと結婚していた。ヘソンはそのことを知りながらも、ノラに会うためにニューヨークを訪れる。
ノラ(グレタ・リー)とヘソン(ユ・テオ)。二人の関係性を”運命”と言わずして何と言い表そう。12歳で離れ離れになり、24歳でインターネットを通じて再会し、しばらく顔を合わせない期間を設けながらも36歳で24年ぶりに直で再会を果たす。別れてから再開する間に2人の境遇は大きく変わりながらも、再び出会えたことに運命の美しさが垣間見えた。
同時に運命の悪戯というべきか、残酷さも垣間見えた。24歳のヘソンもノラも前に進んでいるように見えて、互いが一緒に過ごせたであろうifの人生に囚われている。ヘソンがインターネットでノラを探し、ノラがヘソンに『エターナル・サンシャイン』の鑑賞を勧めたように。恋心や思いれが強ければ強くなるほど、「あの時違う選択をしていれば」と後悔を抱かずにはいられない。
2人のすれ違いは環境にも左右される。ヘソンは懲役を終え、大学進学後は将来を見据えて中国語を勉強する。言うなれば、韓国に住んで地位を上げていく典型的な韓国人男性としての人生を歩む。一方でノラは人種が異なる地で居場所を得るために夢を追って成功することを第一としている。カナダの学校で1人座り込むショットから、寂しさに負けない強さと何者かにならなければならない重圧に苛まれていたのかもしれない。
本作は愛の成熟や喪失を描くような典型的な恋愛映画ではなく、新たな人生を進めるための物語だ。ヘソンがノラの住むニューヨークに出向くという意味では、旅映画としての機能も果たす。
ノラはアメリカ人男性アーサーと結婚しており、ノラがヘソンに会いにいく際も「邪悪な白人のお出まし」と冗談を言ったり、「君のことを信じている」と信頼感が垣間見えたりと、ノラにとってはアーサーは運命の相手だ。互いに別々の人生を歩んでいたヘソンとノラではあるが、ノラはヘソンより一歩進んでいるようにも見える。
2人の現状を踏まえた上でヘソン、ノラ、アーサーがバーで飲むシーンはそれぞれの関係性や心情が立ち位置や顔の向きで表す見事な演出となっている。ヘソンはノラが運命の相手と結ばれた現実を受け入れ、ノラにとってはヘソンとの時間を懐かしみ、アーサーにとっては2人が過去に恋人同士であったことを目の当たりにする。そしてノラが席を外し、ヘソンとアーサーの会話シーンにはグッとくるものがある。
ヘソンにとっては新たな人生にさらなる一歩踏み出す切っ掛けに、前に進み続けたノラにとっては過去の出来事としての清算に。ヘソンが帰りのウーバーを待つ間のノラとの2人きりのシーンは、過去も未来も忘れ、残された数少ない時間・瞬間で互いの愛を確かめ合い、別々の人生を歩むエールを送っているようであった。