
映画評 セプテンバー5🇩🇪🇺🇸

『HELL』『プロジェクト:ユリシーズ』のティム・フェールバウム監督によって、ミュンヘンオリンピックで起きたイスラエル選手団人質テロ事件を生中継したテレビクルーたちの視点から映画化したサスペンスドラマ。
1972年、ミュンヘンオリンピックの選手村で、パレスチナ武装組織「黒い九月」がイスラエル選手団を人質に立てこもる事件が発生し、スポーツ番組の放送クルーたちが事件の中継を担当することになる。全世界が固唾を飲んで事件の行方を見守るなか、中継チームは緊迫した極限状況で数多くの選択を迫られる。
本作はミュンヘン五輪で起きた”黒い九月事件”を生中継したテレビクルーの視点を通じて描かれており、『ユナイテッド93』のようなテロの脅迫感と緊張感、目まぐるしく変わる状況下で悩む暇も考える余裕も与えない緊迫感に圧倒される。まさに息つく暇もないスリリングな劇場体験であった。
テロの脅威が目の前に迫りながらも恵まれた環境下で中継をできていた訳ではない。元よりクルーたちはスポーツ番組担当で報道の経験は皆無。テロの生中継は業務外であり寝耳に水だ。また当時の衛星放送のルールで中継出来る時間が限られていたり、言語の壁にぶつかったりと、どうにかして報道しなければいけない現場から漂う焦燥感がより現場の緊迫感や緊張感を演出する。
結論を言ってしまえば中継は大失敗を犯してしまう。警察が人質を救出する一部始終を中継してしまい、犯行グループに警察の手の内を明かしたことで人質救出作戦中止の失態を招く。さらに空港で犯行グループの警察の銃撃戦を警察の圧勝及び「人質解放成功」と裏どりせず報じてしまう。ラストでディレクターが被害者の顔写真を見つめる虚無感が事の重大さを痛感させられる。
本件に対する報道姿勢は批評されるべき案件であることは確かだが断罪するようには描かれない。テロの脅威が襲いかかり、右も左も分からない報道に着手することになり、人の命運を左右する重圧と責任に晒される状況下で、適切な判断を下せるだろうか。また、報道倫理が確立されていない当時の報道体制の中で正しいかどうかの基準は”使命感”以外あっただろうか。「あの時、ああすれば」は結果論でしかない。
むしろ追体験として、マスメディアやSNS関係なく、昨今を取り巻くメディアの実態を逆説的に浮かび上がらせる。報道する使命を盾にし報道倫理を無視した正義の暴走や個人の感想を述べるに留まったり、他社の記事をそのまま使い回すなど取材も裏どりもしない姿勢の低さ。「黒い九月事件」から約50年以上経ってもなお悪化及び劣化しているようにも見えてしまった。