映画評 バジーノイズ🇯🇵
DTM(デスクトップミュージック)を題材に斬新な音楽表現とタイムリーなテーマ性で話題となったむつき潤による同名コミックを『silent』の風間太樹監督で実写映画化。
自分の頭の中に流れる音楽をPCで形にし、部屋でひとり奏でることに没頭する青年・清澄(川西拓実)。自分の音楽を誰かに聴かせようなどと思っていなかった清澄だったが、上の階に住む潮(桜田ひより)は、毎日清澄の部屋から漏れ聞こえてきた彼の音楽を楽しみに聴いていたと話す。そして、潮が何気なく投稿した清澄の演奏動画によって、彼の世界は大きく変わり始める。
「誰かのためにやる」。清澄と売れないバンドのボーカルをしている洋介との会話で印象に残った台詞だ。「応援してくれる人が1人でもいるのであれば続ける」という音楽のみならず創作活動全般に当てはまる原点を、哀愁漂わせながらプロフェッショナルとしての哲学を最後まで貫き通そうとする覚悟という熱がこもったたシーンだ。
「ありがとな、陸はお前と組んだ方がいい顔してる」という洋介の台詞も忘れられない。本来メンバーを引き抜かれることは不本意であったはず。しかし、プロとして音楽をやる以上、実力を最大限に発揮するためには創作する場所や一緒に活動する仲間といった環境は必要不可欠。寂しそうでもあり同時に嬉しそうでもある洋介の表情はプロとして一生懸命やってきたからこそ。
清澄は自分による自分だけの音楽活動を行なっていた。清澄の音楽によって感動した潮と出会い、潮のために音楽を奏でたことで、一緒に音楽活動をしたいという仲間が増え、多くのお客さんに届け感動させ、創作の幅が広がった。彼にとってもまた創作の原動力は「誰かのため」と言える。そして一変した環境も清澄の才能を伸ばすことになる。
洋介や陸をはじめ登場人物らはプロフェッショナルさを突き詰め、清澄は彼なりに「自分が頭の中で奏でた音楽を形にする」創作哲学があり、皆が皆信念を貫いていた。
しかし終盤、潮らが缶詰状態で作曲をしている清澄を連れ出す展開に唖然とする。途中でプロジェクトを投げ出してるようにしか見えないからだ。潮は「楽しそうじゃない」という理由で連れ出そうとし、清澄も楽しくやりたい心を解放して逃げ出す。清澄が無理矢理連れてこられた所を救出するならともかく、自ら赴いているのであれば、責任を持って最後までやり抜くべきだ。余談だが、清澄の曲でバンドデビューが決まっていた人たちは梯子を外された。
「楽しくやる」も創作における解としては申し分はないのだが、そこから先を描けていない。楽しいからやっているものの高みを目指す過程で楽しいだけではないことを痛感させられる『ブルーピリオド』と比較してしまうと、本作は深みが足りない。本作においては経済活動とどう上手く擦り合わせるかなのだが、そこの答えは放置されたまま。
「誰かのために」も個人的なものとして矮小化されているのもいただけない。清澄の一ファンである潮のためにを最後に思い出すという形となったが、責任を放棄してまで貫くことではない。むしろ彼の曲を楽しみにしている人たちは大勢いるのであれば、彼らのためにやるのがプロだ。プロとして行なっている以上対象はマスであるため、清澄には潮を拒絶し、数年後彼の曲で大きなハコを埋める活躍を見せつけて欲しかった。悪い言い方をしてしまえば、清澄は潮という古参に迎合した。
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