マルクス『資本論』を読んだふりをする方法
マルクスの『資本論』は一部の読書家にとって憧れの本であり、『カラマーゾフの兄弟』や『失われた時を求めて』らに匹敵する「通読しているとカッコいい本」である。
そのせいか、自身の教養を誇るために『資本論』を通読したふりをする人々がネットには溢れかえっている。
しかし、『資本論』は難解な哲学書などに比べると平易に書かれており、素人向けの解説書も数多くあることから、きちんと通読した人も多く、そういった人から見ると上記のような「知ったかぶり」はすぐに見抜かれてしまう。
本稿では、このような恥をかかないよう、『資本論』を通読したふりをするコツをお伝えしたい。
コツ①:そもそも「ぜんぶ読んだ」と言わない
『資本論』を通読した人は、きちんと通読した人ほど「ぜんぶ読んだ」と言いづらくなる。
というのも、『資本論』は後に進めば進むほど何を言っているのか分からなくなり、終盤はほぼ拾い読みに近い状態になるからだ。
どういうことかというと、『資本論』は全3部から成り、第1部はマルクスの生前に出版されたが、第2部と第3部はマルクスの死後、その遺稿をもとにエンゲルスが編集・刊行したものである。
エンゲルスの編集作業は、マルクスの遺稿がとんでもない悪筆(下掲画像参照)な上、その順番なども未整理であったことから、難航を極めたらしい。
その結果、第1部はそれなりに理解しながら読めるものの、第2部・第3部と続くにつれて何を言っているのかさっぱり分からない箇所が増えていく。
第3部の後半については、解説書でさえ「できるだけ分かる箇所を抜き出して説明していきたい」というスタンスになる。
そういう次第で、『資本論』を通読した人も、第3部の終盤にさしかかると拾い読みしかしていない状態となり、「果たしてこんな読み方で『通読した』と言っていいものか」と思うようになり、声高に「通読した!」と言いづらくなるのである。
したがって、『資本論』を読んだふりをするには、あえて「ぜんぶ読んだ」と言うことは避けるべきで、「一応ページは最後まで手繰ったのですが、何せ難解で・・・」というスタンスで居るのがよいのである。
コツ②:『資本論』の内容にはできるだけ触れない
当たり前の話なのだが、『資本論』を読まずに『資本論』の内容を語ろうとすると、すぐに知ったかぶりがバレる。
ところが、なまじっか世界史の授業などでマルクスのことが触れられたり、報道等で共産主義国のニュースが扱われたりするせいか、何となくわかった気になってこの愚を犯す人が後を絶たない。
代表的な誤りは以下である。
① 「資本」という概念を、会計上の「資本」と同じ意味だと勘違いしている。
② 「商品」という概念を、日常的な意味での「商品」と同じ意味だと勘違いしている。
③ 『資本論』の内容の大部分が、共産主義分析に当てられていると勘違いしている。
④ 計画経済と共産主義を混同している。
⑤ どこかで聞き知ったマルクス関連のワードをひけらかす(「唯物論」、「上部構造」、「発展段階論」など)
(また、第一部しか読んでいない人にありがちな失敗として、産業資本にばかり言及して、第二部・第三部で扱われる商業資本や擬制資本などの話題に一切触れないということがある。)
最悪なのが、上記のような誤りを犯しつつ『資本論』批判を展開することで、本当にみっともないので止めておいた方が良いだろう。
コツ③:『資本論』の周辺について知っておく
『資本論』を通読した人であれば知っているはずの周辺知識について、ある程度押さえておいた方がリアリティが出やすい。
(1) 翻訳について
『資本論』について語る際、どの翻訳で読んだかという点は必ず話題に上るところである。近時で『資本論』を通読するとなると下記の3つの翻訳が選択肢に上がる。
・岡崎次郎訳『資本論』大月書店
・向坂逸郎訳『資本論』岩波文庫
・日本共産党中央委員会社会科学研究所『新版 資本論』新日本出版社
このうち、おそらく一番売れているのは向坂訳なのだが、岡崎次郎の人間的魅力に加えて、向坂訳の成立経緯に問題があることもあって(両方とも岡崎次郎『マルクスに凭れて六十年: 自嘲生涯記』に詳しい)、『資本論』ファンの中では岡崎訳が正統という空気がある。
新日本出版社版については共産党の解釈が入っているということもあり、岡崎訳・向坂訳に比べるとマイナーな感じがする。(ただ悪い翻訳ではない)
したがって、岡崎次郎訳で読んだふりをすると良いだろう。
(2) 副読本(アンチョコ)について
『資本論』は難解で長い本であるため、その通読には通常、副読本が必要になる。大学のゼミや市民講座などで読書会をやったという人でもない限り、「副読本に何を使ったか」ということは聞かれるところである。
全三部をすべて解説した本はそれなりに多いが、かなり古かったり絶版だったりする。今でも本屋で手に入るものとしては以下の3つになるだろうか。
・デヴィッド・ハーヴェイ『〈資本論〉入門』全2巻 作品社
・不破哲三『『資本論』全三部を読む』全7巻 新日本出版社
・伊藤誠『『資本論』を読む』全1巻 講談社
なお、池上彰をはじめとして売れっ子作家たちが『資本論』の入門書を書いているが、だいたい第一部の内容を要約しただけのものなので、これらを副読本として挙げるとすぐに通読していないことがバレるので注意していただきたい。
また、上記3冊については内容を大づかみにするのに適しているので知ったかぶりをするためにもさらっと読むと良いだろう。
まとめ:知ったかぶりには謙虚さが大事
結局、知ったかぶりをするには、大きく出ないことである。
「ハーヴェイの入門書をアンチョコとして、岡崎次郎訳を何とか最後まで読んだのですが、第二部の途中から力尽きてしまって、それ以降はところどころしか分かっていないんです」ぐらいで済ますのがリアルで、逆に知性を感じるほどである。
読まずに批判することなどは必ず避けるべきで、「読んでいない本を批判してはならない」という当たり前すぎる原則を再度確認すべきであろう。