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【Text 2024】13年間の「被爆樹木」との対話、「感謝」のはなし
子どもの頃、1学期の最後の日がとても楽しみだった。
学級活動でさよならの礼を済ませるやいなや、これから来る夏休みに心を踊らせ、重たい荷物をなんのその、駆け足で家まで帰った。
海へ行ったり、友達とプールに行ったり、少し遠くに釣りに行ったりする予定が嬉しかった。真夏の熱い太陽を皮膚で感じながら夏休みは過ぎていく。その太陽を浴びながら、蝉の声とご先祖への線香の匂いと共に、「心の奥の方に寂しさや悲しさや不思議さが混ざったような感覚」が現れてくる。
自分の生まれ育った国でかつて戦争があり、世界中で多くの方が苦しい思いをしたこと。8/6:広島、8/9:長崎、8/15:終戦記念日の様子をテレビでじっとみていると、今、夏休みを楽しんで過ごしていることに罪悪感も感じていた。小学生の時に国語で習った「ちいちゃんの影おくり」、「はだしのゲン」、「ほたるの墓」、じいちゃんやばあちゃんの戦時中の話などが自分にとっての「あの時」だった。
「心の奥の方に寂しさや悲しさや不思議さが混ざったような感覚」は大人になっても消えることはなく、2011年の震災をきっかけに、原子力について改めて学ぶ中、2012年の8月にはじめて広島に行った。平和記念記念資料館、原爆ドームにまず訪れた。そこで1冊のリーフレットを目にした。被爆樹木マップと書かれたそのリーフレットは、市内に生きている被爆樹木を紹介したものだった。私はそのような樹があることに驚き、会いに行ってみようと思い、爆心地から370mの場所で被爆したシダレヤナギに会いに行った。
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平和記念公園から道路を挟んで北に歩いて5分ほどの場所にシダレヤナギは生きていた。枝葉は川沿いの風をさらさらと梳きながらゆらぐ様がとても美しく、葉はとても柔らかく青々としていて幹はゴツゴツと逞しかった。
その樹に触れた瞬間、大きな感謝の気持ちが心の奥の方から湧いてきた。思わず「ありがとう」と言葉にしていた。当時は地上部分が全て失われたがのちにヒコバエが芽を出し、現在の姿になったというそのいのちは、自分と同じように現在を生きている。その事実が嬉しかった。1945 8/6 8:15は過去の凍結した時間ではなく、現在進行形なのだと感じられたらリアリティを持って何かできるような気がした。私はその年から毎年このシダレヤナギに会いに行き、その枝葉が梳く広島の陽差のこもれびを日光写真で撮影している。
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作品制作を続ける中、作品がまとまり、2015年に広島で2回の個展を行った。それまでは被爆樹木に会いにきて撮影し帰るだけだった広島に、人間の友人や知り合いができた。
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2017年には、親友の音楽家:青木裕志さんが一緒に広島に行ってみたいと言ってくれた。それなら被爆樹木の下で何かやろう!と自分は日光写真の体験セット、青木さんはギターを手に8/6の8:15から日没までシダレヤナギの下にいた。そうすると樹の下に人が集まり始め、制作するなかでお互いのことを話したり、広島について語り合ったりする時間が生まれた。また隣にある広島市青少年センターの職員だった熱田さんが活動を観にきてくれて、「来年何か一緒にやってみない?」と声をかけてくれた。その声かけで2018年「1本のいのちの下で」が実現した。被爆樹木シダレヤナギの下に様々な表現者が集い、観にきてくれた方と「今」を改めて実感し、考える機会をつくった。2020年、2021年はCOVID-19の影響で企画は実施できなかったが、2022年から再開し、2024年の今年で5回目の「1本のいのちの下で」を実施することができた。
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その活動の中で、2014年から毎年8/6の8:15に被爆樹木シダレヤナギの撮影を公開している。その様子を見るために少しずつ人が集まってくる。この時に会う広島の方も多くいて、「今年も元気だった?」と挨拶をし合う。樹木の木漏れ日の下で、共に生きていることを確認する。
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こうした「被爆樹木がつなぐ人と時間」を体験する中で、幼い頃から感じている「心の奥の方に寂しさや悲しさや不思議さが混ざったような感覚」について再考する機会も得た。今、それは「感謝」なのではないかと感じている。かつての戦争で苦しい思いをした人たち、樹木たちに、いのちを繋いでくれた先祖に、じいちゃんやばあちゃん、家族、友人、そして自分自身のいのちに向けた「感謝」。いまいなくなってしまったものを想像することで感じる寂しさ、苦しみや声にならない悲しさ、それらを誰に?どこに伝えれば良いのか、この気持ち自体漠然としていてなんなのかわからない不思議な感覚は、被爆樹木を撮影し続ける中でリアリティを持ち実感できるようになってきた。様々な気付きや縁に改めて感謝をし、今、これからやるべきことにいのちを灯し続けたい。
●クラウドファンディングサイト
(9/6まで実施活動へのご支援よろしくお願いいたします。)
●「1本のいのちの下で」ウェブサイト
●広島での制作マガジン
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