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地方創生Coach Note【復興へ向けての振り返り⑥「まず、さらけ出そう」】

【メンバー達相互の関係性を高め、その中で新たな理解、新たな関係性、新たな意図といった事柄を生み出すことを目指すわけです。メンバー達の主体的な参加と相互の共感、納得感といった状態が整うからこそ行動へのコミットメントが生まれ、その行動そのものにも変容が生まれるということです】

という前回。その中で「ファシリテーターがパートナーとしてオープンな関係と信頼性を築くこと。そして、その信頼性を築き上げる為の環境を提供すること」をカヘンがどう伝えていて、それをどのように実行していくのかといった具体を今回から触れていきたいと思います。

☆アダム・カヘンらが最初に行ったこと

まずは、上記リンクの著書においてアダム・カヘンが南アフリカ・モンフルーのカンファレンス・センターで行ったいくつかのアクションを見てみたいと思います。
 
ロの字に並んでいたテーブルの一つを外して、コの字の形にしたこと。そして空いた辺の場所に参加者が書き込めるフリップ・チャートを吊るしたこと。

休憩時間には参加者同士が誘い合ってバレーボールをしたり、散歩をしたりしたこと

・このカンファレンス・センター自体が自然保護区に隣接した美しい景観をもちあわせていたこと

あたりをまず挙げられそうで、まずは、ここからコーチ(心理学)視点で見ていきたいと思います。

☆視点変更がもたらす効果

アダム・カヘンは席のスタイル変更に関して「個人のアイデアに注目するのではなく、これから作り上げるアイデアに注目」とその意図を明記しています。
 
日本でのこうした集まりでは、向かい合うか学校教室形式での形が多く、参加者達の視点外でグラフィックレコーディングを一生懸命やっている人がいる・といったケースをよく目にするところです。
 
しかし、殆どの参加者たちは終盤になると全体がどのような流れになっているかを忘れ、自分が何を言ったかもよく覚えていないカオス化していきます。そして、記録されていたグラレコを終了後にみてホッとする。そんな風景が日常とすら言えるでしょう。
 
これらのプロセスにおいては「意見を何か言う」目標の目的化が発生しています。それもほぼ無意識のレベルで全体がと言えるでしょう。
 
この対応としてカヘンのメッセージは明確で「I(個人)」ではなく「We(全体)」の視点とマインドセットを持つ。席の変更をまず行ったのは、その為の環境設定を施した・と言えそうです。

そして「場」とは「誰かがどこかにある正解(Best)にたどり着く」為のものではなく「正解のない前提で、チームがより良い可能性(Super Better)を探求する」為にあるということです。

当時のことについて、ハワード・ガブリエルズ(黒人の全国鉱山労働者組合の元役員)は白人支配者側の交渉相手であったリーベンバーグとの出会いについてこのようにも語っています。
 
「1987年に組合は34万人の労働者をストライキに動員し、そのうち15人以上が殺され、300人以上が重傷を負った。彼は敵で、私はそこにいて、その生傷がまだうずくうちに同じ部屋でこの男と一緒に座っていたのだ。モン・フルーのおかげで彼は私の視点から世界を見ることが出来たし、私は彼の視点から世界を見ることが出来たと思う」

☆ファシリ自らが「さらけ出す」ということ

こうした人種同士の歴史的対立。あるいは政党における与党と野党と言った思想、信条において日常的な対立を繰り返しているグループがモン・フルーで視点を揃えて時間を積み重ねていけたことは、もちろん前記のような席替え効果だけではありません。ガブリエルはアダム・カヘンに対し
 
「初めて会った時、こんなに何も知らないということをさらけ出す人がいるなんて、にわかに信じられませんでした。あなたは私たちを操ろうとしているのだとばかり思っていました。しかし、あなたは本当に何も知らないということがわかった時、あなたを信じることにしたのです」
 
とも語っています。このガブリエルの言葉は日常的に起こっていることを示してもいて、ファシリテーションが成立していない多くのケースでは、実はファシリテーター側に課題があるといえます(例外的ケースを除く)。

特に日本では「正解」を求め、ファシリテーターが「正解」を導く存在。あるいはファシリテーターの意図した「正解」に帰着させる誘導こそがファシリの「技術」だとすらうそぶいているような輩までいます。
 
こうした「正解」というバイアスを持って場に臨んだり、自分の優秀さを示そうといった言動、行動、態度をとる。あるいは参加者達と距離を置いて、報酬の為の整理ゲームをやるだけといった壁を作る。そんなファシリテーターが「自爆」・というケースが本当に多いわけです。

アダム・カヘン自身も自身の専門性を提供するということには変わりないと語りつつも、仏教家の鈴木俊隆老師の「初心者の心には多くの可能性があるが、専門家の心にはわずかの可能性しか残っていない」という言葉を挙げています。
 
これは初心をもって臨む重要さに触れているわけですが、こうした当たり前なことをどれだけの「質(Quality)」でやるかは、どのカテゴリーでもとても大切なことです。というわけで「場」に貢献するファシリテーターであろうとするならば、

「さらけだし」という行為を避けたいのは、ファシリ自身の課題である

という部分を常に意識しておくことが不可欠です。つまり、ファシリ自身が自分の弱さを他人に見せることで自分自身で判断(Judge)している。その時に内側から生じる「無力感、無能」といった感情を回避しようとしている行為に過ぎないわけです。
 
そして、こうした回避の行動は参加者達の返報性によるリアクション機会を喪失するだけではなく、ファシリ自身の「成長欠如」にもつながっていきます。成長要素において「謙虚さ」「誠実さ」といった態度、マインドセットが重要な役割を果たす理由が、こうした「出来ていないこと」「まだやれること」という自分自身に対してどう認識するか。どうリアクションするかが鍵になっているからです。
 
そのうえで「目的」を振り返るならば、
 
【メンバー達相互の関係性を高め、その中で新たな理解、新たな関係性、新たな意図といった事柄を生み出すことを目指していた筈です。メンバー達の主体的な参加と相互の共感、納得感といった状態が整うからこそ行動へのコミットメントが生まれ、その行動そのものにも変容が生まれる】
 
という状態目標を設定していた筈です。カヘン自身も「正しい答えを私たちが持っている」という思考のボタンを一時停止して・と語っているように、第一歩として自らさらけ出す行動とその覚悟。「中立性」「好奇心」「謙虚さ」「注意深さ(観察)」といった要素における準備は標準装備で備えておくことです。
 
これらの指摘からは、ファシリがよりオープンな気持ちで貢献する。その意味で、その準備としては「アンラーン」が習慣化している事が望ましいと言えそうです。
 
*続きます!


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