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「普通って何だろう?」中学生達との対話(dialog)① 【日々の雑感 day67】
おはようございます。12月の更新が31日となりヒヤッとしました。
仕事面や日常における変化を感じながら、この年末年始は、秋のキャリア教育で中学生達と対話をしてきたことを振り返っていきたいと思います。
さて、今回のキャリア教育のプログラムでは、最年少スタッフである17歳の子も一緒に、彼女が選んだ三つのTEDスピーチを見て、中学生達と語り合う「場」を作ることにしたわけです。
今日はその一つ目、ロージー・キングのスピーチの時の話をしていきたいと思います。
(5、6分程度の動画ですので、良かったら視聴してから中学生達のことを想像しつつ JOIN してみて下さい)
☆「普通って何だろう?」
「自閉症がいかに私を解き放ち、私らしく感じさせてくれるか」
そんなタイトルの動画を選んだのは、女の子たちでした。10人を超える女子と少しの男子がこのテーマを選び、視聴を開始しました。
「私は自閉症でもあります」(I am also autistic.)
冒頭から自己開示をして、そう語りかけてくるロージー。そして自らの自閉症を通じて「ステレオタイプ」というテーマで人々の思い込み(色眼鏡)に関して語っていきます。このあたりから中学生達が見せた細やかな表情の変化やしぐさ、座っている状態の変化とかがとても興味深かったように思います。そして何よりも、見学に来ていたある女性の先生が一番、引きこまれるように画面を見つめ始めていました。
ロージーは続けます。これは自閉症だけではなく、LGBTQや人種、様々なところで人は人をステレオタイプに判断するものだと。
そして、ロージーは、自分が自閉症だから、心を簡単に解放出来る。私は決して自分を箱(ステレオタイプ)に閉じ込めようとしない。それは自閉症ゆえの素晴らしい事の一つだ(It's very easy for me to let my mind loose because I don't try and fit myself into a tiny little box. That's one of the best things about being autistic.)と伝えてくれます。
自閉症と検索したら「悪魔」とGoogleの一番上に出てきた。皆さんよくご存じで・・と笑いをとったシーンを伏線にしつつ、中学生達にも共感できるような彼女の体験が出てきます。
授業で退屈になるとロージーは想像の世界に遊びに行ってしまいます。けれど、自閉症で想像力が豊か過ぎる彼女は、その想像の世界で何かとてもワクワクする事を見つけてしまうと、現実の世界で叫んだり、走りだしたり、身体をゆすったりと言った反応を示してしまいます。小さい頃は「CUTE!」だったその表現も、学校ではそうはいきません。
中学生達は何を感じていたでしょうか?
その後の感想を見ても「あてはめたり」「決めつけたり」するリスクを感じ始めていた子達が多かったように思います。ロージーは「普通」ではない私のような人とは友達になりたくないと思う人もいるかもしれない。だけど、私は構わない。なぜなら、私はその結果として本当に「いい人」を見極められて、その人を友達に出来るから・とも語っていました。
☆悪魔と普通と
こうして最後の本題である「普通とは何でしょう?」というロージーからの問いが中学生達に渡されます。
「君は実に普通だね!」
って最高の誉め言葉でしょうか? 誉め言葉って、
「型破りだ(outside the box)」
「人並外れている(extraordinary)」
「素晴らしい(amazing)」
ではないか?とロージーは言います。
人々はそう褒められたいのに、なぜ箱(into the box)に押し込めようとするのか?
キラキラした個性を型にはめようとするのか?(their brilliant individual light into a mold)
と続けます(先生は、このあたりからきつかったのか離れます)。ロージーはこうした自閉症やLGBTQの人々の個性を殺すことで「普通」にするトレーニングを拒絶する意思を表明し、皆さんにお願いをして終わります。
「普通から外れている事をとがめるのではなく、その独自性を讃え、誰かの創造力の解放を喜んでほしい」
☆自分で考えるという過程そのものを大切に
このテーマは答え、正解があるものではありません。
その意味で中学生達が考え、自分達の感じた何かを表現する為の「沈黙」があることはむしろ当然です。
こうした沈黙に耐えられない大人も少なくないのですが、彼女ら、彼らのことをよく見てあげるとわかります。一生懸命に自分の中で「普通」という言葉と向き合い、その言葉や感覚が自分自身を照らしていく。それが自己認識にとって重要な「過程」なのです。
正解があるという前提の考え方、やり方自体が大人による「ステレオタイプ」であり、それは現在の脳科学、心理学、教育学でも誤った見方、考え方であることがむしろ証明されています。中学生達の心の声がふせんに出てくるこの時間を僕はとても愛していて、
「ふつうってあるのか? 何がふつう?」
という付箋なんかは僕はとても大好きなわけです。もちろん反応の仕方もそれぞれで、こうしたロージーの前向きさ(Positive)をむしろ「うらやましい」と感じたり「自分らしく生きているロージーがとても素敵」と見えていた中学生もいます。あるいは、人の違いを知るために「いろいろな人とふれあってみたい」と考えた中学生もいます。
皆さんにとっての「普通」とは何だったのでしょうか?
皆さんがロージーから受け取った「何か」はどのようなものだったでしょうか?
こうした自分以外の誰かの内を感じ、その自分自身と向き合い、その表現を率直に出すことは、自己認識や社会認識を育む方法の一つであり、この国の教育システムに欠落しているものでもあります。
お正月のようなゆっくりと過ごせる時間で、こうした自分自身と内的にも外的にも向き合ってみたらいかがでしょうか?
二つ目のお話は年始に予定しています。ではよいお年を!
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