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郷愁の映像詩『ノスタルジア 4K修復版』

プロローグ

天気予報で寒くなると聞いていたわりには、それほど寒くない朝だった。

都市部には、山から吹き下ろす風もなければ、立ちこめる川霧に視界を遮られたり、睫毛が朝露で濡れることもない。


久しぶりに朝から早足で出発し、満員電車に乗り、阿佐ヶ谷へと向かった。

人混みの中で揺れながら、車窓を眺めてぼんやりと思った。

「郷愁」はどこにあるのだろうか。


阿佐ヶ谷には学生の頃に行ったことがあった気がしたけれど、駅に降りたっても何も思い出さない。

見渡せどもその風景は、記憶になかった。
来たことはないようだった。

地図を見て、商店街へ入り、抜けて、左へ進むと

小さなコインパーキングの脇に地下への入口がある。

Morc阿佐ヶ谷 入口


クモが目印のミニシアター「モーク阿佐ヶ谷」

降りていくとギャラリー風の事務所のような空間がある。

ガラス戸を開けると、ロビーのテーブルに女子大学生らしき人が座っている。

スマートフォンからこちらに目をやり、気だるそうに「こんにちは」

バイトの子だろうか。

レジに立って無言で「ご注文は」と目で促す。

愛想はなくとも、映画さえ観れたらそれでいい。むしろそれがいい。

「ノスタルジアを」

「開場は10分前になります」

切符代を払って整理券をもらうと、彼女は再びテーブルのスマートフォンに戻っていった。

客あしらいは外の気温より冷えていた。

寒さに狼狽え、モタモタと整理券を見ると

早めに来たにも関わらず、意外なことにもらった整理番号は3番で、なんとすでに2人は観客がいるらしい。

棚にパンフレットの見本が置いてあるので、手に持っていたカフェラテをテーブルに置くと

同じカフェラテの赤い紙コップがもう一つある。

氷のような彼女も今朝方、商店街のコンビニでホットカフェラテを買ってきたのだ。

気づいたところで
至極どうでもいいことなのに、

なぜだか妙に気まずくなった。



『ノスタルジア 4K修復版』の見本パンフレットをパラパラとめくり、やっぱり映画を観終わって買ってから読もうと、外へ出た。

小さなシアターの扉前には、ちょうど良いベンチがあった。

付近には色んな映画のチラシがたくさん置いてあって退屈しなかった。

カフェラテ飲みながら休憩すること15分


「開場になります」

事務所の奥から出てきたもぎりの女性は明るく言った。

整理番号1番と2番はなぜか来ておらず、結果的にわたしが一番最初にシアターに入った。

地下のシアターは30~40人くらいが収容人数の小さな上映室だった。


どこだろうと映画を観るなら、
最前列ど真ん中に座る。


わたしのあとに、なにかの経営者か支配人風の男性が整理番号4番で入り、遅れて1番と2番の専門学生風の友人同士がようやく来た。

彼女たちは席についてウエスト・サイド・ストーリーを新旧観たとかいう話をしている。

いかにもタルコフスキー映画の耐性が無さそうな様子に、他人事ながらにわかに不安を覚えた。

最後にひとり、映画が始まってから専門学生らしき男の子が遅刻して入ってきた。

観客は5人で、上映中は静かでとても快適だった。

貸し切り気分で、タルコフスキー作品を観る環境としては最高にととのっていた。

本編開始


小声のアナウンスが入り、徐々に暗くなり、予告編から、本編へ。



ついに『ノスタルジア』が始まった。


久しぶりにタルコフスキー節を聴く。

象徴的なアイテムや人物を配置した構図が決まるタルコフスキーの映像美に浸る。


心地よいため、中盤で半覚醒状態になる。(短時間の寝落ち、意識が朦朧)


タルコフスキーの映像作品は、やはり映画というにはあまりに異質で逸脱している。


黒澤明監督いわく「タルコフスキーは難解なではない。感性が鋭すぎるだけだ」


映像の詩人と呼ばれるタルコフスキーの映画は、映像詩であり、父アルセーニイ・タルコフスキーの詩が根幹にある。

映像詩は、頻繁に夢と現実を往き来するので、ある種のトランス状態に陥る。

「夢は現実だ」

主人公の作家アンドレイ・ゴルチャコフが夢と現実が混ざり合う精神状態及び追憶と郷愁の世界へ観客を連れて行くストーカー(案内人)となる。

『惑星ソラリス』から『鏡』『ストーカー』

さらに『ノスタルジア』

そして『サクリファイス』に繋がる。

映像詩が一連の流れとなって、支流が束なり大きな川へと繋がっていくのが見える。


アンドレイ・タルコフスキー自身、亡命して帰れなくなったロシアへの郷愁が『ノスタルジア』で主人公の台詞に乗せて語られる。帰りたい。父や母、家族の思い出のある場所に。

「どうしてこんな残酷なことになったのか」

そのあまりに悲痛な声に、

思わず視界が揺らいだ。

重い響きが、水面に無限の波紋を刻んだ。


母の思い出に捧げる

アンドレイ・タルコフスキー


と、幕を閉じる。



タルコフスキー作品は不思議と見飽きない。

共通したテーマがあり、様々な作品の映像はそれぞれリンクし、繋がっている。

重なり合いながら、別の世界であり、同じ世界である。

同じ映像作品を目にしていても、そのときどきで見えてくるものが変化する。

つぶらな犬の目や、女の肢体や、小川の中に横たわる大天使、淀んだ泥の砂煙。

蝋燭の炎のゆらめき、燃え盛る人間と、灰。

焼身自殺するドメニコが

「自らのなかにある水や炎や灰を信じろ」

といった台詞が胸に残る。


彼は"AQUA"と叫んだ。

自分のなかに流れる水、炎、

燃えたあとに現れる灰。




タルコフスキーの巡礼は

夢のなかに始まり、現実のなかに始まる。

終わりはない。


終わりがない探索の旅は、一見途方もないように見える。

しかし、決して複雑な迷路ではなく

壮大な世界の静寂のなかに映し出される

人間の記憶と祈りをこめた

叙事詩であり叙情詩。

複雑に考える必要はない、ただ感じる。

雨の染み込んだ土のにおい

小川を流れる水草

水溜まりの中の泥煙



タルコフスキーの映像詩の数々は

人間の記憶を呼び戻す。


深い眠りに落ちることで

"何か"が目覚め、記憶が蘇える。

それを奇跡だと呼ぶ人もいる。



神は自ら手を出さない。
冷酷な神は下界を見ているだけに過ぎない。

それでも人間が神に祈りを捧げるのは、

祈りが水のように

人間のなかに流れるものだからなのかもしれない。


4K修復版の質感について

撮影監督ジュゼッペ・ランチ監修のもと修復されたもの。

フイルムの質感を残しつつ、陰影がきれいな映像美が堪能できる修復版だと感じました。

フイルムの質感がタルコフスキーの映像詩には欠かせない。

梅田ガーデンシネマで観た『サクリファイス』を思い出す。

あのとき観た35ミリフイルムの色彩と

土のにおい、水や木の手触りさえ感じられるような質感が、忘れられない。

タルコフスキーの霧に包まれる感覚を、忘れられない。

フイルムは不思議とにおいが感じられる。

デジタルには映らないものがフイルムには映る。

『ノスタルジア 4K修復版』も、においを残しつつ手触りをできる限りは残した修復版だと感じた。

とくにラストシーンの

雪が降る故郷の家の風景。

郷愁の記憶のなかにある風景の美しさが目に焼きついている。

降りしきる雪や水溜まりの冷たさ、寄り添う犬の瞳と毛並みの温かさ。


時間が許せば、何度でも繰り返し毎日でも浸りたくなる。

タルコフスキーの映像詩は、

人びとを深遠なる巡礼の旅に誘う。


上映スケジュール

上映スケジュール

21日(木)までは朝の1回上映。

22日(金)~28日(木)までは夕方の1回上映。

没入感があるシアターで観てこそ、タルコフスキーの扉は開かれ、入って行けます。

映像美で名高いタルコフスキーの

『ノスタルジア 4K修復版』

観れる機会はなかなか貴重だと思います。

興味ある方は、どうぞこの機会に。



タイミングが合えば、またタルコフスキーに浸りに行きたいと思います。


それではまた
気まぐれ映画の旅で、お会いしましょう。

さよなら、さよなら、さよなら!




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