気になるジーサン《平手政秀》居城跡を桜散策して見かけた《ラジオ塔》
名古屋地域は今週末が満開ですが、あいにくの雨模様。予報を見て昨日、ジーサン政秀の居城があった志賀公園を歩きました。
この公園は、これまで何度も訪れていますが、新発見がありました。
《ラジオ塔》なるもの!
先日、「ジーサン政秀」記事の中で、志賀公園は北区平手町にある、と書きましたが、その証拠を:
町名として残っているのは、信長傅役ジーサンがそれだけ地元民に愛されていたのか、あるいは日本の苗字の多くがそうであるように、もともとの土地の名前を苗字にしたのか ── ここは前者のようです。
尾張の平手氏は、清和源氏新田氏の一族・世良田有親の子義英に始まり、三河に流れてきた、という説があるそうです。ならば「どうした家康」とも同系統ということになりますが、どの家も源氏末裔を自称していたそうなので……。
この日は雨天と雨天の間隙でなんとか持ち、公園には桜の下、お弁当を広げる家族やグラウンドを走り回る幼稚園児が見かけられました。
でも、「所により雨」的気配もあり、お花見宴会ムードはなかったですね …… まあ、近くの花見メッカ・名城公園と違って住宅地ですからね。
庭園部分も桜が満開で花見モード、でも人出はほとんどなく、贅沢な散策でした。
庭園部分とグラウンド部分のちょうど中間に、高さ2.5 mぐらいの骨格構造物があります。
……これまで気付いたことはなく、個人的には「初見」。
《ラジオ塔》と書いてあります。
(── ラジオ塔? 街の中心にあるテレビ塔のラジオ版? ……それにしちゃ、背が低いじゃないか?)
訝りつつ、説明文を読んでみると……。
なるほど、つまりは戦後テレビ放送が始まった直後に日本テレビの正力松太郎が新橋や上野の駅前に設置したとかいう、
《街頭テレビ》(力道山のプロレス中継は有名)
のラジオ版、ということですか!
「志賀公園には、昭和十七年に設置」
……ということは、
昭和天皇の《玉音放送》も、このラジオ塔の前に集まって聞いた人が多かったのでしょうね……。