今振り返る価値があるかものドキュメンタリー映画「プーチンより愛を込めて」(ネタバレ注意)
おそらく15年ぶりぐらいに、今池の名古屋シネマテークに行ってきました。来月には閉館になるというので、最後の駆け込み数発の「その壱」です。
先週の記事の中で見に行く映画の題名は「ヒミツ」と書きましたが、
これです:
1999年の暮れにロシアの初代大統領ボリス・エリツィンが退任し、大統領代行としてウラジミール・プーチンを指名してからの1年余りを撮影したドキュメンタリーです。
若き(47歳)プーチンが、大統領代行時代の実質3か月後の大統領選挙運動中、そして選挙および開票当日、さらにその後の執務風景などをビデオ画像に収めたドキュメンタリーです。過去に撮影した画像を最近になって編集したマンスキー監督は、今では反体制派になっているようです。
……大丈夫かな?
当初、自分がプーチンを選んだ、と胸を張るエリツィンは、TV局クルーに、
「彼が大統領になれば、報道の自由も守られる。オレに感謝しろよ」
なんて言っています。
でも、マンスキー監督の奥さんはこの時点で既に、エリツィンからプーチンへの権力移譲は憂慮すべきことであり、既にプーチンの独裁を深く懸念しています。わかってた人もいたんだね……。
大統領代行時代のプーチンは既にこう言っています。
「我々が国益のために決定したことを国民に納得してもらうことが目標だ」
つまり、国民の意見を聴く必要はなく、《いかに納得させるか》の技術が重要、と示唆しているのです。
エリツィンは、次期大統領は自分が選んだ、国民の支持率2%だった大統領代行・プーチンを、オレが3か月後に50%まで上げてやったんだ、と「キング・メーカー」として大威張りトーンでした。
でも、2000年3月の大統領選挙の開票結果が明らかになった後、当のプーチンに当選祝いの電話をかけ、折り返しかけるとの返答がありながら、エリツィンさん、1時間半待っても電話はありません。
これが象徴的でしたね。
《利用価値のなくなった人間に関心はない》
というわけです。
プーチンの大統領初当選を祝う乾杯の場にいる「チーム」のほとんどすべてがその後、
・彼と袂を分かち、野党側に回り国を去るか、
・殺されるか、原因のわからない死を遂げる。
この時の映像で、今も唯一側近として残っているのは悪名高いメドヴェージェフだけなのも不気味なところ。
そして、最も印象的なのが、インタビュアー(マンスキー監督自身)が、
「君主になりたいのですか?」
とプーチンに問いかけると、君主は息苦しいのでその気はない、とはっきり否定し、
「時がくれば普通の人に戻り、別の仕事に就きたい、そして、自分が行った政治の結果を一国民として体験したい」
と言う。
すごく素直な表情と口調である。
「この頃はそう思ってたんだ!」
と思った人は多いかもしれない。
だとすれば、まだ人が良すぎる。
彼は大統領代行になる前も、いわゆる「普通の人」だったことはないのだから。
フランスのオランド前大統領は、在任中にロシアのプーチン大統領と協議した経験を踏まえ、
「彼はうそをつくのが習慣だ」
と明言した。
プーチン氏と対話するということは、「口に出すことは実行せず、したいことは口に出さないと知りながら何時間も話を聞くことだ」と説明した。
この映画の全編にわたって、禍を予感させ、不安をかきたてるBGMが流れている。
この音楽は、映画的にはとても効果的だった。
せっかくなので、あとひと月の運命という、名古屋シネマテークの画像をいくつか:
表題画像はこちらからお借りしました:
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