ホメて育てる ── というけれど(一部再掲)
これはもちろん、重要なテーマです。
自分はそうされたい。
他の人にそうしなきゃ、と思うけれど、なかなかできないままジジイになってしまった。
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昨日投稿した創作民話「こま犬物語」は、私が12歳、中学入学後間もない頃に書いた(書かされた)話です:
公立中学3年間は教師に恵まれませんでしたが、ふたりの国語担任だけは、いい意味で今も忘れられない先生です。
(高校も公立ですが、こちらはなかなか面白かった)
ひとりは、まだ高校生だった吉永小百合さんを初主演に抜擢した「キューポラのある街」の浦山桐郎監督の弟で、ヨレヨレの服にいつも鼻毛をのぞかせていた浦山杉郎先生。
もうひとりが、「こま犬物語」に関わる浅井ちえ先生。
中学1年の国語の担任が浅井先生 ── 当時30代前半ぐらい、小柄で可愛い感じの女性でした。
入学後に受け取った真新しい教科書の、最初か2番目の教材が、もう内容は忘れましたが、どこかの地方の《民話》でした ──「かさ地蔵」のような。
その民話を読み終え、感想などをひととおり話し合った後、次の授業のはじめに、先生は恐ろしいことを言い出しました。
「じゃあ、今日は、みんながひとりひとり《民話》を書いてみようよ」
小学校の国語は、読むこと、(特に漢字を)書くこと、表現方法を理解すること、感想文を書くこと ── だいたいそんなパターンだったので、生徒たちは驚きました。
「そんなの、できないよ!」
という声も方々で上がりました。
「どんな話でもいいの。自分が読んでみたい、と思うような物語を考えて、書いてみてよ。頭の中に浮かんだことを書けばいいの」
先生は、原稿用紙を配りながら言いました。
要は、《小説》を書いてみろ、というわけです。
突然の《無理難題》に、私を含め、おそらくクラス全員が困惑しました。
その時間の最後に、私が提出した原稿が、「こま犬物語」でした。
紋切り型の《賢兄愚弟》的な話で書き始め、《展開》について大いに悩み、途中で《神社の狛犬》に結びつける《アイディア》を思いつきました。
この時おそらく、《オリジナル・アイディアを着想する》という《喜び》を感じたことと思います。
新しい《遊び》を思いついた時、友人にぴったりした《あだ名》が浮かんだ時などと、同じ類の《喜び》です。
ただ、こうした《喜び》は、一過性のものが多い。
熱が冷めると忘れていきます。
次の国語の授業で、先生は、生徒それぞれが書いた《民話》の原稿を返却しました。
「この話、面白かったわ。途中で時間がなくなったみたいだけど、家で完成させてごらんなさいよ」
「最後のところでどんでん返しがあって、びっくりした。先生、続きが読みたいわ」
ひとりひとり、Encouragingなひとことを添えて返却した、その原稿にもコメントが書かれていました。
何人かには、《自作》の《朗読》もさせました。
その授業の後、私は教壇に呼ばれました。
「この話、先生、とっても好き。少し直して、今年の《文集》に出そうよ」
その中学に《文集》なるものがあることを私は知りませんでしたが、先生が、《表現が気になった》と指摘した部分を修正し、原稿を再提出しました。
その学年の終わりに、全校生徒にその年度の《文集》が配布されました。
中身の多くは、部活や生徒会の活動報告、修学旅行や遠足の紀行文、随想的な作文、卒業生のひとこと集などでした。
「こま犬物語」は、《創作民話》として掲載されました。文集中、ただひとつの《創作モノ》でした。
ネットもワープロもない時代です。自分の書いた《オリジナル物語》が《活字》になって印刷されていることに、途方もない《喜び》を感じました。そして、この《喜び》は一過性でなく、
(自分の考えた物語が活字になるって、素晴らしい!)
と意識の中に《固定化》されたのです。
Noteに投稿した「こま犬物語」は、縦書きを横書きに変えるにあたり、漢数字をアラビア数字に変えたこと、パラグラフに分けたこと以外は、その時の掲載バージョンです。
漢字が少ないのもそのためです。
ただ、「12歳の作」といっても、上記のように、《編集者》役だった先生との合作でもあります。
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幼い頃から本を読むのが好きで、漠然と、自分も《物語》を書きたい、と思い、マンガや絵本のようなものを描いてはいましたが、具体的に、
《小説家になりたい》
と意識するようになったのは、この先生に《ホメられ》、かつ、《編集者》としての先生が、《創作》を《喜び》に《固定化》する仕掛けをしてくれて以来のことです。
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子供を/生徒を/学生を《ホメる》って、とっても大事なこと。
自分の経験から、《アタマでは》そう信じているものの、なかなかこの先生のようにはできません。
幼い子供と将棋を指す時も、大学で学生を指導する時も、つい欠点を指摘したりする。
たぶん、《ホメる》より《ケナす》方が楽、なのでしょう。
さらに言えば、《相手をケナす》のは、相対的に《自分の方が優れている》ことを確認する行為なのかもしれません。
大人げない? ── まったくその通り。
40代のおわり頃、会社員を辞めて教職100%のプロになるかどうか真剣に考えた時がありました。でも、自分の《資質》の問題点を思い、そちらの道に進まないことを決めました。
その時相談をした友人(大学教授)が言ったのです:
「谷さんの職場に配属された新入社員を育てると、力を付けて戦力になりますよね。でも大学の研究室に配属された4年生を苦労して育てても(大学院修士課程に進んだとしても)、3年後にはいなくなります。そして毎年、右も左もわからない4年生が新たに入って来る ── その繰り返しです」
「……だから、教師というのは、教えること自体、育てる事自体に歓びを感じる人間でないと務まりません」
……なるほど、浅井先生だ!