15歳の金沢二景
カニナさんがお住いの金沢を紹介されています。特に、いくつか紹介されている坂道の写真は、とても風情があります。
そして ──
この記述に、15歳の夏がよみがえりました。
中学時代の遊び仲間で、別の高校に通うことになった友人3人に誘われ、1年の夏休みに国鉄(当時)の学割北陸周遊券を使って1週間ほどの旅に出ることになりました。
行先は決めず、宿泊はすべて野営、とのみ定め、テントひと張りとそれぞれ寝袋を持って名古屋駅から電車に乗り込みました。
少年4人の野営旅、── といっても、スティーヴン・キングの「Stand by me」のようにワイルドなものではありませんが……
まずは福井県の若狭高浜に向かい、海水浴場にテントを張って2日間泳いだ後、金沢を目指しました。
金沢の駅ビル2階にあるミルクスタンド(というのがかつて存在したのですよ)のカウンターに座って、(たぶん)牛乳を飲みながら、腹減ったなあ、とか話していると、その店のお姉さん(たぶん20代半ばぐらい)に尋ねられた。
「あんたたち、高校生? 食べるモノ持ってないの?」
「いや、持ってるけど、インスタントラーメンなんで……」
若狭高浜では浜辺で枯れ木を集めて火をつけ、飯盒で湯を沸かしたけれど、金沢の町中では無理だった。
ちなみに、この前年にカップヌードルが発売されたけれど、かなり高価であり、ラーメンといえば『出前一丁』のような袋入りに決まっていた。
「ふーん。アタシが作ってあげようか」
お姉さんは我々がリュックから出したインスタントラーメンを、おそらくはホットミルクが注文されたら使うのだろう、小ぶりの雪平鍋で、手早く調理していった。
「あんたたち、箸は?」
「今朝使った割り箸がありまーす」
「じゃ、洗ったげる」
腹を減らせた高校生4人がアツアツの具無しラーメンをすするのを、お姉さんは満足げに見ていた。
「あのう……お金……ラーメン代は?」
おずおず尋ねると、
「いらないよ。第一、ウチはラーメン屋じゃないから」
……ごもっともです。
やさしいお姉さんに別れを告げ、金沢の町を歩いた。
兼六園のように有名な観光地にはなぜか見向きもせず、犀川ほとりなど、とにかくひたすら歩いた。
「おい、今夜、どうする?」
「金沢駅の待合室は人が多かったよな」
「ああ、ベンチに寝袋広げていると叱られそうだ」
彷徨っているうちに、『寺町』に入り込んだ。とにかく、寺、寺、寺……大きなお寺ばかりが集まっている。
「お! ここ、立派な屋根のついた門があるぞ! ここで寝ようぜ!」
ひとりが言い、あ、いいかもな、と続く。
「……うーん」
4人の中で一番社会常識をわきまえた、中3のクラスでは学級委員も務めていた友人は慎重だった。
「一応さあ、この寺に断っておこう。不審者だと思われるといけないだろ」
── 今から思えばまったくもっともなこの提案に、他の3人は、えーっ、面倒だな、必要ないじゃん、道端で寝てるのと同じだろ、下手に話すとダメだって言われるぜ、── などと反論したが、15歳とは思えないほど良識的なこの人は、ほかの3人をまあまあ、となだめ、寺の境内に入って行った。
現われた住職は ── 今ではお寺の名前も憶えていないが ── このアヤシイ高校生4人組を文字どうり『門前払い』するようなことはなく、話を聞いてくれた。
「門の下では風邪ひくぞ。本堂に泊めてやってもいいが……ただなあ、先週、殺虫剤を撒いたばかりでなあ。ひと晩寝るのなら掃除をした方がいいだろう。雑巾がけするなら泊めてやろう」
我々は顔を見合わせ、住職に頭を下げた。
大掃除の後、当時50代ぐらいの住職は我々に質素な夕食もふるまってくれた。
育ち盛りの我々は本堂でこれをたいらげ、
「金沢って、いいところだな」
など話していると、住職がやってきた。
そして ──
「お前たち、火の霊を見たことがあるか……? ワシはこの寺の墓地で時々見る……いや、蒼白くてなあ、なかなか気味の悪いものだが……」
── 薄暗い本堂で語り始めた。
板敷きの本堂に寝袋では背中が落ち着かなくて熟睡できず、しかも頭の中では墓地に妖しい火影が舞う様子が離れなかった。
僕らは翌日、輪島へと向かった ── 金沢でのあたたかい体験を胸に。