『Hマートで泣きながら』の著者ミシェル・ザウナー(Japanese Breakfast) インタビュー@下北沢
自分で語らない限り、
誰にもこの悲しみの深さや痛みが
分かってもらえないと感じたんです
『Hマートで泣きながら』がベストセラーになり、音楽でもアルバム『ジュビリー』がヒットしてグラミー賞にノミネートされ……この1年は、劇的な年だったのではないでしょうか?
ほんとにラッキーだったと思います。初めてのフジロックで(メインの)グリーンステージに立てたのも信じられない気分。でも実際は、とても時間のかかるプロセスだったの。この6年、小さいサプライズや大きいサプライズがたくさん積み重なった結果が、この1年なんです。ここまでの成功はやっぱり衝撃だけど、それでもわたしたちにしてみれば、ゆっくり成長していった感じ。 最初は200人の観客の前で演奏するなんて思いもしなかったのが、翌年は500人の前で演奏し、それが1000人になりというふうに徐々に成長していったんです。面白い流れでした。
出版から1年が経ちましたが、この本が多くの人に受け入れられ、ベストセラーになった理由はどこにあると思いますか?
ここまで売れるとはまったく思っていなかったんです。そこそこはいくと思っていたけど、まさかここまでとは。でもなにかが人の琴線に触れたのね。ミックスルーツの人たちが、こういう本の登場を求めていたのかもしれないし……普遍的なテーマに触れていることも、ヒットの理由かもしれません。『Hマートで泣きながら』には母と娘の関係とか、お母さんの味とか、食と人との密接な関わりとか、大切な人を喪う悲しみとか、韓国人でなくとも共感できるさまざまなテーマが含まれていますから。それに、かなり心情的には重い内容だけど、文章の雰囲気が友達の話を聞いているような、パーソナルな感じなのもよかったのかも。
お母さんの死をテーマに選んだ理由は?
自分で語らない限り、誰にもこの悲しみの深さや痛みが分かってもらえないと感じたんです。起きたことを自分なりに理解したかったし、母という人の記念碑を残したい気持ちもありました。執筆がつらい体験になるのは分かっていたけれど……子供時代の幸せな記憶を記録したいのもあって、そうした美しい日々を振り返り、本の半分を占めるそうした部分を執筆するのは楽しい経験でした。
お母さんは謎の多い人で、あなたはその謎を謎として残しています。謎の解明は今でも進めている?
もちろん。母は今もミステリアスな存在です。母であれ誰であれ、誰かのことを完璧に理解するなんて土台不可能ですが。
次の本では韓国に1年住んで、韓国語を学ぶ過程を書くつもりなんですけれど、テーマを「韓国語学習」にしたのは、母の近くにいたいからなんです。母を解き明かすカギをたくさん握っているのはおばのナミですが、彼女は韓国語しかできません。だからわたしが言葉に堪能になって、コミュニケーションを取りたい。子供の頃の話を聞いたりして、おばが知る母の人となりを探りたいんです。
子供の頃、母に韓国語教室に通わされたんだけど、わたしはすごくチャランポランな子だったから、ぜんぜん行きたくなくて。(笑)
介護中、母のための韓国料理が作れないこと、
ずっと反抗的な娘だったことが恥ずかしかったし、
自分自身に怒りを感じていた
メモワールを書くことは、お母さんの死と折り合いをつける助けになりました?
メモワールの執筆が面白いのは、どの登場人物にも心を寄せて接しなくてはならないこと。書き始めた当初は父やケイにも、自分自身にも強い怒りを抱いていましたが、書きすすめるうちに自分の感情と向き合い、再評価することを迫られました。その人がなぜそんなことをしたのか、行動の裏にある動機や理由に対する理解を深めることにつながったんです。
同じように、自分に対する理解も深まりました。(介護中)わたしは母のご飯を作れない自分が、すごく恥ずかしかった。(母の死後)韓国料理を作りたい衝動に駆られたのはその恥を心のなかで消したかったからなんだと気づいたのは、後になってからです。またひどく反抗的な娘だったことにも強い恥の意識を抱えていましたが、執筆を通して、そんな娘だった自分を許すことができました。執筆の過程で、母とわたしが特殊な状況に置かれていたことを理解したんです。わたしと母は異なる文化を背負っていて、お互いの言動を理解する手がかりになる基点もなく、同じ体験をしている友達はおらず、そうした関係を描いたドラマや映画もなかった。だから書きながらふたりの関係を見つめ直すことで、わたしと母はずいぶん特殊な状況にあったんだと納得し、それが自分への許しにつながりました。
執筆にかかった時間は?
書いたり書かなかったりで……5年かな。2016年に雑誌向けにエッセイを書いたことがきっかけです。あのときはかなり原稿を削られて、でも書いていくうちにアイデアがたくさん湧いたんです。2018年のアジアツアー中にソウルにしばらく滞在して、本格的に執筆に着手しました。その後ニューヨーカー誌で発表した最初の章が驚くほどの反響を呼んで、本の契約がまとまったんです。
(ピーターに)執筆中のミシェルはどんな感じでした?
(ピーター)……はりつめてましたね。彼女はパーソナルな「ピラミッド」を築こうとしているようなものだったから。毎日書いて、草稿を夜ふたりで読んで話し合って……ミシェルはときどき感情的に爆発して、とにかくよく泣いてたよね。(と言いながらミシェルをみつめる)
ピーターが最初の「編集者」で、それはもう本当にたくさんのバージョンの原稿を読んでもらったんです。ただ書いているときは、悲しい場面を何度も何度も追体験しなければならいのがつらくて。お風呂で母の髪が抜ける場面とソウルの病院で介護するくだりを書くのは、とくに苦しかった。でも結局のところ、それが癒しになりました。
『誰も知らない』(是枝裕和監督)のYOUが大好き。
いつか、『テラスハウス』のYOUみたいに
リアリティショーのジャッジをやれたらいいな。
音楽と文学、先に興味を持ったのはどちら?
物心ついたころから、ずっと書きたいと思っていました。でもなぜか出版界は音楽界より敷居が高い気がしていて。中学〜高校生のころはジャーナリスト志望で学校新聞でも書いていたけど、上からああしろこうしろと押しつけられて書くのは苦手でした。短編小説などを自由に書く喜びを知ったのは、大学で創作(クリエイティブ・ライティング)を学んでからです。
16歳で音楽にはまったのだけど、それも根っこにはものを書くことへの興味がありました。書くことはわたしにとって、すごく直感的で、自然な行為。キャリアの大半をわたしは音楽コミュニティーで過ごしてきて、友達も音楽系で、アイデンティティーもそこにあるけれど、音楽への関心はもともとものを書くところに根差していて、書いたものを発表する場を音楽に求めたんです。
これから世界各所でのライブが控えていますよね。 次回作の執筆にも5年かかりそうでしょうか?
韓国に拠点を移せば、一気に勢いがつくはず。1年間韓国に住んで、語学を学ぶ過程を日記のように書こうと思っているの。ジュンパ・ラヒリの『べつの言葉で』みたいに…。30代のわたしが1年間、その土地に暮らしてどこまで上達するか、自分でも楽しみにしています。
今はまだ『Hマートで泣きながら』の韓国語版を読むことができないんです。今のわたしが読めるのは3歳児向けの絵本。でもきっとそのうち10歳向けの本にステップアップするでしょうし……。言語と脳の関係にも興味があります。年齢とともに脳のどれだけの機能がシャットダウンするのか、自分で体験してみたい。赤ちゃんの頃は何事にも脳がオープンだけど、年を取ると、脳の使われない部分は機能しなくなるものだから。
実はわたし、韓国に行ったらコンビニで働きたいんですよね。お客さんとコミュニケーションを取らなきゃというプレッシャーで、きっと否応なしに言葉が上達するから。(村田沙耶香さんの)『コンビニ人間』って読みました? 文化的なプレッシャーの物語でもあって、わたしはとっても面白く読みました。主人公はコンビニで働くことにすごいこだわりがあるの。周囲に定職につけとうるさく言われても、本人はコンビニで働く生活が気に入っている——。
ときどきそういうシンプルな仕事がとても懐かしくなります。キツいけれど、日々面白い経験ができる仕事が。実は昨夜ナイターに行ったのですが、観戦中にビールの売り子さんを見て、やってみたいなと興味を引かれました。
やってみたいことはいろいろあって……わたしは是枝裕和監督のファンなんですけれど、映画『誰も知らない』に出ていたYOUが大好きで。いつか、『テラスハウス』のYOUみたいに、リアリティーショーのジャッジをやれたらいいなって思ってます。あれって、最高の仕事じゃない?(笑)
最後の質問です。本に出てくるお母さんの教えどおり、自分の10%は守っている?
もちろん、はい、そうしてます(笑) 本にはちょこっとしか出てこないのに、あの言葉はとても多くの読者の心に残ったみたいね。
たとえば、病気でやつれた母の写真を、わたしは誰にも見せません。個人的な写真だし、母もそんな姿を見られたくないだろうし。それに、誰かを丸ごと信用するって危ないと思うんです。自分を守るために。わたしは父ににて、疑り深い人間なの。
映画『ミナリ』の結末で、一家はすべてを失います。残されたのは、川で生い茂るセリ(ミナリ)だけ。あれって「10%」の本当に美しい例だと思うんです。すべてを失っても、いちからやり直す土台になるもの、という意味で。
日本の読者へのメッセージを。
『Hマートで泣きながら』を楽しんでいただければうれしいです。わたしは日本が大好き。本が売れて、早くまた戻って来られますように!
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