雜談「墓場まで愛する覚悟」
うすくら屋で失敗した事があるのが
「周りに合わせてきた」事だと思ってる。
というのはピンになって漫才師を辞めて
色んな本や動画を漁ってきた結果て
実は東洋館の単独ライブやBe-1は曲げなかったのに
漫才になると変に合わせてしまった事で
「漫才とは何か?」迷いの森に紛れ込んでしまった気もする。
今思えば、仮に1年間漫才が受けなくて
周りにアイツら滑ってますと言われても
「このネタが今はスベっても時期に数年後にはテレビで引っ張りだこのネタになる。じゃないと芸人なんてやる価値がない。」
と墓場まで愛する位の覚悟があったと思う。
だから、いいねなぞフォローなぞ
今のこだわりない位がちょうど良くて
自分なりに属にいう「総スカン」であっても
「総スカン結構じゃないか」
位に思ってないとダメだと思ってしまった。
その点、幻冬舎の社長見城さんの言葉がすごく良い。
カドガワにいた頃、在籍した100人の社員に「あいつは地獄に落ちた」と大合唱されてから今の地位にいる。
それこそ何クソ根性というやつで起業して今にいる。
どんなに反対されても「これは確実に成功する」。
ターニングポイントはこういう所にあるのかもしれない。
「Be-1」立ち上げの時によく覚えてるのは
身近な人物では母親に食卓で顔を合わせる度に反対された。
「賭ける事はやめろ!」だの
「余計な事に首を突っ込むな」と言われた事もあった。
けど、その時何を思ってたかいうと
「いや、この時期にやるから価値があるんだ」
と思ったし。
当時、たけしさんが出てた龍の如く5のYou Tubeを見てて
社長「お前は俺の事好きか?俺は今初めて人を銃で殺した。〇〇よ、それでもお前は俺についていく覚悟があるか。」
と問う社長室のシーンを度々思い出した。
そういう事てエンディングを迎えて初めてわかる事もあるわけで
自分なりに昨年で漫才を辞めた事で得られなかった事も得られた。
こういう気付きも出来なかったし
じゃあ、気づいたら気付いたなりにまた1段階ステップアップすりゃいいんだと。
だから、このnote。毎日note。
いいね0とか別に誰か見てるとか見てないとかどうでもいいの。
書きたい事を書けばいいんだと思うのよ。
特に自分はお笑いにそこまで携わるわけでもないから敵もいないし。
それなりの覚悟を持ってるからこのnoteは自由に書けると思う。
総スカンは大いに結構だし。
YouTubeの批判コメントとか結構好きで見ちゃう。
「ああ、この人たちは全力でパフォーマンスしてくれてんな。」
私の気分は猪木問答の「猪木」さんですよ。
「音程がおかしい」
「つまんない」
「なんかやめて」
私「よし、わかった!お前らの言いたい事はよくわかった。だが、俺に言うな。自分たちで道を切り開いていけ!以上!」
これだ!
あっちも「存在」を出したいからやってくる。
だから、批判なんかしたら可哀想だ。
批判はグッと受け止めて、