偉人から「本当に学ぶべき」こと
こんにちは。
神社昌弘です。
今月からAmazon Kindle Unlimitedを利用しているので、一日に10冊くらいの本を読んでいますが、この機会に、かつて読んだ「偉人伝」を読み返しています。
そこで、ハッと気づいたことがありました。
それは…
ということ。
彼らのストーリーを読めば読むほど、偉人と呼ばれる人たちが、いかに過酷な環境を乗り越えて、試練と立ち向かい、沢山の苦労を重ねてきたことを思い知りますが、実はこれ、当の本人たちは「苦労を苦労と思っていない」かもしれないんですよね。
もし、いま、彼らに
「あれは、苦労でしたか?」
そう尋ねると、もしかすると、中には、
「苦労だった」
と答える人もいるかもしれませんが、
「ただ、ひたすらにやってきただけ」
と答える人も多いんじゃないかって思います。
なぜなら、僕自身、難病を発症して、8度の手術と4年間の絶食生活を経験し、病気を克服した時、まわりから、ものすごい苦労を乗り越えたねと言われて、テレビにも取り上げられましたが、僕自身はと言うと、
「ただ、そうするしか生きられなかった」
「命がけで、やるしかなかった」
だけでした。
もちろん、苦労はしたし、沢山の努力もしたと思うけれど、結局、自伝を書き始めた時に、僕が、
「苦労をしていた」
と書いただけだったように思い出す。
きっと、オリンピックの金メダリストや一流のアスリート、偉大な社長や偉人たちも、苦労を苦労だなんて思っていないと思うし、だからこそ、偉業を成し得るんだと思います。
僕たちは、つい、自分にできないことを「凄い」と思い、そこに至るまでの経緯や経験を「苦労」だと表現したくなりますが、それは、単に、苦労を美化したいだけなのかもしれません。
なぜなら、日本社会や世間、僕たちの親世代が、苦労を大好きにしているから。
って思います。
かつての偉人たちは、やっぱりすごい!
でも、その苦労を同じようにしなくてもいい!
そんな風に思います。
僕が学ぶべきだったことは、苦労ではなく、生き方や考え方、つまり…
自分を信じ抜くこと!
自分の信じた道を貫いて生きること!
だったように思います。
これまで、僕自身の読み方が浅かったことを痛感して、これからは、ますます僕が僕らしく、あなたがあなたらしく生きることを応援していきたいなって思いました。