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頑張り過ぎは「自分」も「他人」も痛い

20代の頃、僕は成長したい一心で、自分の身体に鞭を打って痛めつけていました。

自分を磨くためには、頑張り過ぎるくらいがちょうどよくて、必死に頑張ることこそ成長の秘訣だと思っていたんですね。

その根底にあったのは「人は皆、ダイヤの原石」という考え方で、僕たちはダイヤの原石だから、磨くと光ると信じていたのです。

でも、ある日、先輩から、こんなことを言われました。

「君の頑張り過ぎは、見ていて痛々しいよ!」
「そんなに頑張らなくてもいいんじゃないか?」
「君が成長したいと願う心の底には『成長していない自分はダメだ』という強迫観念があるんじゃないか?」

そして、こんな風にも言われました。

「君の頑張り過ぎは、一生懸命走っている馬に、さらに鞭を打って、おしりから血が噴き出してるのに、まだ鞭を打っている感じだよ!」

正直、ショックでした。

これまで、自身の頑張りを褒められることはあっても、こんな風に言われたことがなかったので、「なんで、そんなことを言うの?」と怒りが出てきました。

でも、怒りが出た瞬間に、図星だと痛感しました。

僕の頭の中には、常に頑張らないとイケナイ自分がいて、頑張らないと成長できないという恐怖があったんですね。

それからというもの、どうしていいかわからなくなって…

チカラの抜き方がわからなくて、困りました。

そんなある日のこと。

ある本の一節で、こんな文章を目にしました。

私たちはダイヤの原石ではありません。
私たちは「炭」なんです。
磨いても輝きませんが、火に出遇えば、燃えて輝きます。

「えっ!?」と思いました。
「まさか!?」と目を疑いました。

でも、この“言葉”を目にした時、これまでの固定観念がパァーと開けて、スゥーと楽になったんですよね。

“言葉”って凄いですよね!?

一瞬にして、人を楽にしたり、人を幸せにしたり、笑顔にしたりできるのですから。

有難いことに、このように僕は必要なタイミングで、必要なメッセージをいただくことが沢山ありました。

ベストタイミングで間違いを正してくれて、必要な助言が与えられ、そして、それをシェアして喜んでくれる人たちがいる…
こんなラッキーマンはいないと思います。

感謝してます。

note以前は、ブログで約10年間、毎朝7時に(一日も欠かさず)、自身が撮影した写真にメッセージを付けて『ポストカード』を作成し、配信し続けてきましたが、その種類が1,300種類を超えた時、また頑張り過ぎて痛い自分がいることに気づいたので(笑)、一旦ブログを止めました。

僕はつい、自分にも他人にも痛い人になる傾向があるので、このマゾヒストな自分を変えたいとは思うのですが、なかなか変えることができません。

きっと僕にとっては、痛いくらいがちょうどいいのでしょう。

すでに覚えてしまった痛みの快感を、これからは深い傷にならない程度に楽しみながら、気楽に書き続けていきたいと思います(笑)

これからも、どうぞよろしくお願いします。

今日も最後まで読んでくれて、ありがとうございます。


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神社昌弘|本名
僕はいま、自身が困難から学んだことを、他の人の人生に生かしてもらう活動をしています。よろしければ「サポート」をお願いします。いただいたサポートは、作家としての活動費に使わせていただきます。