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放置と保身が生み出す、究極の自己責任論

昨日、とある学校で話をした際に、私の前の方が話をしてる時からヘラヘラ、クスクス笑っている奴らがいたのでその場で強烈に問題を指摘し、それでも舐めた態度だったので、今すぐ出ていけと教室から追い出しました。高校2年はもう大人です。大人として自分がどう時間を使うのかは自由。嫌なら最初から授業なんぞ出ずに遊んでいればいいのです。その勇気もなく、適当にヘラヘラやって、他の生徒の邪魔になってること、話す側の集中力すら削いでる自覚がないこと含めて迷惑であることをガツンと指摘しました。その時に怒ったのは私だけ。

先生たちはその場で生徒に何も言わない。終わってんなと思いましたね。詳しい話は今日の音声配信冒頭で触れています。

それにしても近年、「大人の保身」が目に余るようになっていると感じます。子供に対しては叱るどころか注意すらしないし、職場では上司が部下に何も言えない。一歩間違えれば「ハラスメント」と言われるからと、指導やフィードバックを避けるケースが増えているようです。

しかし、この流れが強まれば強まるほど、私たちは恐ろしい実力社会と極端な個人主義社会を加速させ、やがては究極の自己責任論へと突き進むのではないかと危惧しています。注意をしてくれる人もおらず、そのまま大人になってそんな態度をとっていればまぁ結局はその人の評価が下されるわけです。その時にも「大人なんだから自己責任」となるだけなのです。

ここでは、そうした社会の姿がいかに私たちの未来を危うくするのか、その問題点を率直に述べたいと思います。


保身の名の下に気づく機会も得られない子供たち

 まず目につくのは、親や教育者が子供を注意しない、叱らない現象です。「子供の自己肯定感を育む」「傷つけたくない」といった言葉がしばしば使われますが、実際のところは「叱った結果、自分が悪者扱いされたくない」「トラブルを避けたい」といった、大人側の都合が透けて見えてはいないでしょうか。

 子供はまだ社会経験が浅いからこそ、時に間違え、失敗から学び、自分の行動をコントロールする術を身につけていきます。もし周囲の大人が失敗を指摘せず、本人のやりたいようにやらせてばかりいれば、子供は「自分の行動は常に肯定される」と勘違いして育ちます。その結果、社会へ出たときに初めて厳しい現実に直面し、そこで大きな挫折を味わいかねません。

 「子供の成長を応援したい」と思うなら、大人の保身を捨てて、正すべき点はしっかりと正す勇気を持つべきです。厳しい言葉をかけるのは、やる側も言いにくいし、相手に悪印象を持たれるかもしれません。しかし、長期的に見れば、その「痛み」は子供が将来もっと大きな痛みにさらされるリスクを減らしてくれるはずです。

職場に横行する沈黙は成長を奪う

 次に、職場における上司や先輩の保身です。本来なら、部下や後輩が業務で失敗しそうになったら注意したり、間違った行動をとったら叱ることで、組織の生産性を高め、次のステップにつなげるはずです。しかし、最近は上司が部下に何も言わないケースが増えています。理由は簡単で、「ハラスメント」と言われるリスクを恐れているからです。

 確かに、あからさまな人格否定や嫌がらせは避けるべきですが、必要な指導や意見の交換まで「ハラスメント」扱いされていては、組織全体の活力は損なわれるばかりです。部下からすれば、指摘されないまま失敗を繰り返し、いつまで経っても成長できない。上司から見ても、部下のスキルが上がらず、結果的に部署や会社のパフォーマンスが低迷する。一時的には「波風を立てない」で済むかもしれませんが、長期的に見れば組織の地盤沈下を招くだけです。

 厳しい指導や注意による衝突を避けたいと思う気持ちは分かります。しかし、その回避策として何も言わないのは、責任放棄と同義です。自分の身を守ることに終始する大人ばかりになれば、社会は停滞し、ひいては競争力を失います。今必要なのは、適切な方法でしっかりと意見を交わす勇気や仕組みではないでしょうか。

究極の自己責任論がもたらす孤立

 こうした傾向が続くと、一見「誰もが自由に振る舞える」ように見えます。しかし、よく考えてみれば、「誰もが互いに口出ししない世界」とは、本当に自由といえるのでしょうか。互いに助言も注意もしない社会は、「あとは勝手にやってくれ」という突き放しの世界へと近づきます。

 その延長線上にあるのが、極端な自己責任論です。何か失敗したとき、誰も指摘してくれなかったからこそ自分でコントロールできず、結果として大きな損失を被る。その後フォローする人もいないから、一人でダメージを受けるしかない。まさに「救いがない世界」です。結局「すべては自分のせい」という過酷な現実が待ち受け、何か問題が起きても周囲からは「それ、あなたが選んだんでしょ」と突き放されることになります。

 また、逆に成功している人から見れば、「他人の失敗など知ったことか。自分が勝てばそれでいい」という発想が強まっていくため、社会の連帯感は確実に薄れます。かつては当たり前だった「助け合い」や「指導による育成」が消え去り、結局は個々人が孤立するだけの殺伐とした環境になりかねません。

本来の厳しさは「未来を守る投資」

 私たちは、いつの間にか厳しさを「悪」と捉える風潮をつくってしまいました。確かに、行き過ぎた暴言や理不尽な扱いは論外です。しかし、本来の厳しさとは、相手の成長や社会全体の質の向上を願って行うものであって、長期的には大きなメリットをもたらす「投資」です。

 子供に対する叱咤は、将来社会に飛び出した際、彼らが現実から受ける衝撃を和らげ、かつ自分で乗り越える力を育むための手段です。上司が部下に伝える厳しい意見は、部下が自分の弱点を知り、改善を重ねる機会を与える大切なステップです。これらを避けてしまえば、成長の芽を自ら摘み取り、社会全体の実力を損なうことになります。

 実力社会や個人主義を標榜するのであれば、なおさら厳しさは必要です。真の「実力」とは、ただ放任された空間で育まれるのではなく、痛みを伴いながら課題を克服しようとする過程で身につくものではないでしょうか。

大人たちが本気で向き合う覚悟を日頃から持てるか否か

 大人が「自分だけ守れればいい」と考え、子供を注意せず、職場でも部下に何も言わないまま放置していけば、近い将来の日本社会はどうなるでしょうか。自己責任論の横行によって、弱者は切り捨てられ、成功者だけが孤高の勝者として残る社会になるかもしれません。しかし、そんな社会が本当に持続可能なのでしょうか。

 実際のところ、人間は社会性を持つ生き物であり、本来「誰かの役に立つこと」で自分の存在を感じるケースが多いものです。子供に叱咤し、部下を指導するのは大変な労力を要します。相手との関係がこじれるリスクもあります。それでもあえて厳しい意見を投げかけるのは、相手を本気で成長させたいからです。そうやって育った子供や部下は、将来また誰かを指導し、より大きなコミュニティを活性化していく流れを生むでしょう。

 大人たちが本気で向き合わず、保身に走れば走るほど、痛みを伴う学習の機会は失われ、相手も自分も互いに成長を妨げることになります。そうして長い目で見れば、日本全体の競争力や地域の活力までも衰退してしまうのではないでしょうか。これは一部の人たちだけの問題ではなく、社会の根幹に関わる重大事です。

共に成長する社会を取り戻す

 大人の保身によって子供を叱らない、注意しない社会は、最終的に甘やかされた世代を育て、社会に適応できないまま放り出すことになります。職場で「ハラスメント」が怖いと何も言わなくなる風潮は、組織の停滞を生み出し、やがては個人だけでなく企業や地域の衰退につながるでしょう。

 こうした流れを放置していけば、個人主義が進み、助け合いの精神が薄れ、究極の自己責任論が幅を利かせる社会が待っているのは目に見えています。そこでは誰もが孤独に結果と向き合い、失敗すれば取り返しのつかないダメージを負うだけ。そこに連帯感や温かさは微塵もありません。

 だからこそ、今こそ私たち大人が本来の責任と役割を取り戻すべきだと思います。厳しさは決して悪ではなく、子供や部下を真に成長させるために必要な投資です。そして自分自身にもその厳しさが向けられ、緊張感が維持され、自分も成長することが可能になります。何より人間は、ただ放っておかれるだけではなく、時には喝を入れられ、痛みを伴いながらも学びを深める存在です。そこに初めて自己肯定感も芽生え、自信もついてきます。

 未来を担う子供たちの可能性を信じるのであれば、遠慮なく厳しい言葉も投げかけるべきです。部下を一人のプロフェッショナルとして育て上げたいのであれば、適切な指摘や指導を惜しんではなりません。厳しさと優しさを兼ね備えたコミュニケーションを取り戻すことで、実力社会や個人主義を肯定するにしても、「孤立」ではなく「共に成長する」方向へ、社会を舵取りできるのではないでしょうか。

 大人の保身がもたらす静かな波風のない環境は、一見穏やかに見えるかもしれませんが、その内側では確実に力を失っていきます。自己責任論の先にあるのは、多くの場合、人間関係の断絶と社会全体の衰退です。今こそ私たちは自分たちの行動を顧みて、未来のために必要な厳しさと指導を積極的に実践していく覚悟が求められています。

 お互いに言いたいことを言い合い、必要であれば叱責もし、建設的に意見を交わす。その過程でこそ、人は学び合い、強くなり、社会も豊かになっていくのではないでしょうか。大人の保身に終始する世界に未来はありません。子供も部下も、そして私たち自身も、厳しさと真摯な指摘を糧に、しなやかかつ力強い実力を備えた人間へと変わっていくはずだと信じています。

 放置と保身をやめ、自分も相手も鍛え上げる真の厳しさを取り戻す。そこにこそ、私たち日本社会の次なる飛躍の可能性があると思いますし、子供たちの未来を切り拓く唯一の道だと考えます。これが実力社会・個人主義の行き過ぎを食い止め、持続的で豊かな社会を築くための、いま最も欠かせない視点なのではないでしょうか。

授業中は頭に来ましたが、終わった後に個別に相談しに来てくれる生徒もいて、やはり響く人には響くのだなとおもわされました。東京から来てる爽やかな大学生にもお会いでき、素晴らしい若者たちもたくさんいると感じます。私たちも気合を入れて頑張りましょう。

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