【読書日記】本が難しすぎて泣いたことがある貴方へ(『「読み」の整理学』)
1:はじめに
日本語なのにどうして読めない?
本を読んで泣いた経験は、読書好きならほとんどの人にあると思う。
その「泣いた」本の多くはきっと、小説や絵本など、物語の本だろう。
時に、心震えるエッセイ本や心理学系の本、伝記や手記もありえるかもしれない。
大学三回生の冬の夜。
私は一人、自室で泣きながら本を読んでいた。
それはゼミの発表用に用意した一冊の哲学の解説書だった。
私はその本が、難しすぎて泣いていた。
「どうして、日本語で書かれているのに、意味が分からない……?」
何度同じ行を読んでも意味が分からない。
数ページ前に戻っても意味が分からない。
数ページ先に進んでみて、戻って来ても、さっぱり分からない。
「えっ……わたしの理解力、低すぎ?」
薄々気づいていたが、自分の知能の限界を分からされるのは辛かった。
こんなに馬鹿なら高い学費を払って大学に行く意味もないし、知りたいこと、覚えたいことがたくさんあるのに、そのために時間を費やすのが無駄なんじゃないかと不安になった。
結局、なんとか読み取れる箇所をつぎはぎして、ゼミの発表は乗り切ったが、「自分は日本語の本すら読めない馬鹿だ」という実感が、心に針のように刺さり、ずっと残り続けた。
「日本語なのにどうして読めない?」
私のように悔し泣きまではせずとも、こういった経験がある人は、おそらく少なくないと思う。
そんな人にぜひとも読んでみてほしいのが、
外山滋比古『「読み」の整理学』(ちくま文庫)だ。
2:読書日記『「読み」の整理学』
外山滋比古さんの本と言えば、『思考の整理学』だ。
もちろんこちらも名著で、創作や編集に関わる人はぜひ一度は読んでほしい。アイディア出しのコツや自学自習の方法、そして創作にかかわる勇気を分けてもらえる。
さて、『思考の整理学』の後半には、こんな内容がある。
外山さんは、知的活動、すなわち、読書や勉強は、二種類に分けられるという。
既知と未知だ。
この「既知と未知に関する読書の方法」について、詳しく論じているのが、『「読み」の整理学』だ。
外山さんは、読書には、①既知の読み と ②未知の読み の二つがあるという。
そして「はじめに」以降、①をアルファ読み、②をベーター読みと名付ける。
具体的にどのような読書をそれぞれそう言うのか、簡単に表にしてみた。
なるほど、私が大学生時代泣かされたのは、この「ベーター読み」の方だったのだ。
だから、実は「難しくて当然」だったのだと、『「読み」の整理学』を読んで、とてもすっきりした。
すっきりしたどころか、古傷に絆創膏を貼ってもらえて、本当に読んでよかった。
「なーんだ、私、馬鹿だけど、頑張ってる馬鹿だ!」
外山さんはさらに私を励ます。
アルファ読みは楽しい。
心が弱っているときはアルファ読みにかぎる。
だけど、ベーター読みからも逃げたくない。
汗と涙でぐちゃぐちゃになっても、私はこれからももっと哲学や歴史の本を読んで、少しでも「善く」生きたい。
外山さんに、心に貼ってもらった絆創膏を撫でながら、私はこれからも読み続けていく。世界に「善く」なってほしいから。世界を「善く」したいから。
『「読み」の整理学』は、どうしようもなく「ペンの力」を信じたい誰かへの、祝福になる一冊だと思った。
おまけ:『思考の整理学』、『「読み」の整理学』、どちらを先に読むべき?
結論から言えば『「読み」の整理学』から読むべきだと私は思う。
というのも、創作活動や編集業務にあまり親しみのない人や、大学生が読むには、『思考の整理学』自体がベーター読みになってしまって、難しく感じてしまう可能性があるからだ。
読書には、既知と未知があって、未知の読書は難しくて当たり前なんだよと、外山さんに教えてもらってから、ぜひ、『思考の整理学』を読んでみてほしい。
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