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混沌の時代に必要な道徳哲学(moral philosophy)

学部4年の春学期に経済学史という講義を受けた。これまで大学で様々な科目を履修したが、最も興味深く、印象的な講義であった。

春学期と秋学期で2つに分かれたこの科目は、おおむね年代順に著名な経済学者(思想家)の理論について学ぶ。現在も引き続き、履修をしているが、前期は主にアダム・スミスやマルサス、リカード、マルクスについて、彼らの理論と歴史的背景について学習した。

春学期に講義を受けて面白かったため、経済学史あるいは経済思想史に関連のある書籍を読み進めてきた。講義を受けている期間は、なぜ経済学史にこれほど興味を持ったのかということはよく分からなかった。ただ自分がこれまで考えてきたことと、彼らの理論がどこかで結びついたような感じがした。秋学期の講義を受けて、そして経済学史(経済思想史)の書籍を読むにつれて、ようやく自分が何に惹かれたのかということが分かった。

学部1・2年でミクロ経済学およびマクロ経済学の基礎を学ぶ。この時に学習する内容は理論のみであり、はっきり言ってなぜこのようなことを学ぶのか、よくわからなかった。経済学史を学んだとき、すなわち経済学を、その成り立ちから現代までの変遷を概観したときに、その位置づけが理解できる。

もともと、アダム・スミス(1723‐1790)にはじまる経済学(そもそもスミスの生きた時代には経済学という学問は存在しなかったが)には、道徳哲学の考え方がその基盤にある。人間とはどういう生き物なのか、あるいは人間はどう生きるべきか、社会はどうあるべきかといった問題に対する答えが根本にある。それを前提に理論が展開されていく。

高度な数学を駆使して、理論を説明するようになるのは、スミスの死後、かなり後になってからだ。しかし、この流れは自然なことのように思う。商業を営む行為自体が蔑まれていた中世ヨーロッパでは、人々の価値観を宗教が支配していた。その後、14世紀から16世紀にかけてのルネサンスと宗教改革を経て、価値観が変化していった。18世紀に産業革命を迎える時代になると、社会が急速に発達し、市場の規模が大きくなっていく。それに伴い経済問題をより科学的に捉える必要が出てくる。

数学は社会で起こっていることを捉えるための一つのツールであり、言語である。一方、哲学とは人間のあるべき本来の姿に問題の焦点を当てる。僕が、スミスやマルクス、J. S. ミル等の思想に惹かれた理由は、理論の根本に据える哲学が、現代に非常に重要な示唆を与えると思ったからだ。

人間の本質、そして人間と社会のあるべき姿を考える上で、スミスは『国富論』を執筆する以前に『道徳感情論』を出版し、道徳哲学(moral philosophy)における人間と社会の性質を示した。J. S. ミルは『経済学原理』の題目で「社会哲学(social philosophy)への応用」と表現し、その重要性を指摘している。

平成が終わり、令和という新時代を迎えて2年が経過した。経済の変動や政治の揺れ動き、各地域で起こる異常気象に見られるように、人間の住む社会は変化し、さらにはその基盤となる自然も新しいフェーズへと入っている。

新しい時代を迎えつつある現代で人間はどう生きるのだろうか。何を心の拠り所として、何を信じて、何を大切にして生きていくのか。人間と社会およびその存在そのものに関する先人たちの知恵が、明るい未来を切り開く上で、我々にヒントを与えてくれる。

2021年10月24日

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