言葉をつける。
パチパチ
ひぐらしが鳴き、線香花火が落ちる。
いつもよりも息苦しい夏も終わり
心なしか
哀愁より、喜びの顔すら浮かんでいる。
パチパチはよくよく思うと、花火の擬音らしくないような。
でも、ドンよりも今年らしい、と思います。
ボディコピーについて
今年から?はじめてみた画像とテキスト。
インスタグラムの投稿をヒントにしているわけだが(インスタのテキストってあんまり読まない、読まれないですよね)。
ほんの数ヶ月前に書いたものを見ると
目を当てられないほどのものではないにしろ、とても気に入らない。
その当時にやっていなかった、正確には気にしていなかった文字間やら
大きさやバランス。などなど。
これはそれだけ成長した確かな証拠であるし、確かな未熟さとして残っている。
きっと数ヶ月後もそう思うし、思いたい。
とは言っても、今回はまだ未リリースである新作のコピー。
世に出ていないし、言葉も付いていない。
思い出すのは、ライオンの名付けの話。
むかしむかしの人類ってライオンがライオンじゃなかったんですよね。正確には未知の生き物?生き物というより想像できない恐怖。当然ながら、人を襲うこともあったと思う。その時代には、得体がしれず危険で恐ろしいと認識されていたと想像できますよね。牙があるし、爪が鋭い、鳴き声が恐いし、速いし、襲われるし。
得体のしれない恐怖にライオンと名付けることで、意識が変わる。
認識することができ、人に伝えることもできる。
とるべき行動は変わらないかもしれませんが、知らない恐怖から知っている獣に変わるのです。
言葉の歴史。人と言葉の関係。
ちょっと大げさになりましたが、その話を思い出した。
さて、言葉を付けるとは。
伝わることを想像すると、すごくおもしろく楽しい。受け取る相手があってこその言葉ですが。
もろもろネガティブなことはおいといて、
まずは自分を感動させるところがはじまりですね。
ではでは
夏の終わりに。
nakabayashi