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「もののけ姫」から今を考える

1997年に公開され、当時日本映画の歴代興行収入第一位となった「もののけ姫」(現在では第四位)。

TVも含めてご覧になった方も多いと思いますが、わたしは久しぶりに神話の世界に興味を持ちこの映画を再度見ました。

すごく奥深い映画で、グローバル化が進んだ今の時代に通ずる「社会で生きていくことの難しさ」が25年前に描かれていたんですね。

このキャッチコピーは「生きろ」

宮崎駿監督のメッセージが心に沁みます。


代表的な登場人物の運命が悲喜交々ひきこもごも

アシタカ

アシタカ

この映画の主人公であるアシタカは、次の村長になる若手のリーダーだったが、村を襲う祟り神を退治して若い女性を守った結果、祟り神の呪いを受けたことから村を追放されることとなる。

ここでは村を守った正義にもかかわらず、村を追放されるという不条理な運命から、西にある人間が近寄れないというシシ神の森に向かう

理想を求めて実直すぎる性格が故に時として笑われることもありながら、誰の意見にも寛容に耳を傾け人間と森が共生することを願って行動する。


サン(もののけ姫)

サン(もののけ姫)

この映画のヒロインであるサンは、赤ん坊の頃に村人により神を鎮めるため生贄となりシシ神の森で山の犬神に育てられた少女
その生い立ちから、自身を山犬だと考えて森を侵すようなすべての人間を憎しみ恨み忌み嫌うという悲しい運命となった

サンは犬神の世界では醜い存在だと思っていたが、アシタカから「生きろ、そなたは美しい」と言われた時から様々な思考が急に変わったように感じます。


エボシ御前

エボシ御前

エボシ御前は、タタラ場という場所(製鉄を主業とする村)を統治する強く美しい冷酷なまでの合理的な女性リーダー
製鉄所運営そして売られた娘や病気を患う社会で生き辛い弱者と言われる人に生きるために新たな銃の開発する職を与えることなどから、タタラ場で皆から尊敬されている。

しかし、このタタラ場を継続的に守るためには木を伐採をして森を切り拓かねばならず、山の犬神や猪神と常に対決。この神をも恐れないのがエボシ御前だった。

エボシ御前は、人間からは尊敬されるが、森を破壊することから犬神や猪神たちからは忌み嫌われる悲しい存在


ジコ坊

ジコ坊

不老不死の力を得るためにシシ神の首をとってくるよう天朝(朝廷)から命ぜられエボシ御前を利用して実行しようとする悪役的存在。

神殺しの先頭に立つ人物

しかし、実行に関して、エボシ御前から「不老不死の力を信じているわけでは無かろうな」と聞かれた時、「やんごとなき方々の考えはわしにはわからん」ということから、自身の意思とは関係なく実直に遂行するYESマン。
しかし、この任務を拒否することは出来なかっただろうし、敢えてしなかったのでしょう。

自分の意思とは関係なく、神々から祟られるかもしれない悪役を仰せつかった悲しい存在

だけど、憎めない存在でもある。


コダマ(木霊)

コダマ(木霊)

シシ神の森に生息する樹木に宿る精霊で、森が豊かでなくなればコダマはいなくなる。アシタカに森の道案内をすることも。

森を開拓すると森に住む微生物を含めた全ての生物が減少してしまう
すべての生物に神が宿っているということなのでしょう。

タタラ場の人(人間)は、不気味さから忌み嫌う悲しい存在


シシ神

シシ神

シシ神は、森の生と死を司る神さまで、息を吹き込み生き返らせることもできるが命を吸い取ることもできる

夜には、デイダラボッチという巨大な化身に変貌する。

ジコ坊とエボシ御前が、不老不死を求めてこのシシ神の首をとろうとすることで、森は大変なこととなる。


ラストシーンが意味深い

サンとアシタカ

サン、アシタカ、エボシ御前とジコ坊の言葉、そしてコダマの登場。
この映画のラストでのそれぞれの立場での次の発言が意味深いですね。

サン   「アシタカは好きだ。でも人間を許すことは出来ない!」
アシタカ 「それでもいい。サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。共に生きよう!」
エボシ御前「ここをいい村にしよう、はじめからやりなおしだ!」
ジコ坊  「いやぁ、まいったまいった。バカには勝てん。」
コダマ  1体のコダマが、コキッ、コキッ、カラカラッと頭を鳴らす


「もののけ姫」公開時の世界

この映画の公開は、日本がバブル崩壊して約6年後の1997年7月12日。

実はその10日前の7月2日は、タイでアジア金融危機の発端となった日

その10年ほど前までは常夏の国で食料も豊富で比較的のんびりと暮らしていたタイの国民が、先進国の手助けで急速な資本主義導入により工業化が進み経済発展
ただ、そこに先進国のヘッジファンドによる通貨の空売りを浴びせられ7月2日に自国通貨の切り下げをせざるをえなくなり暴落を引き起こしたのです。

その後、アジア各国に連鎖して大打撃を受けて、タイ、インドネシア、韓国、は已む無くIMF(国際連合傘下の国際通貨基金)管理下に。

日本も同年4月に消費税引き上げたことも重なり、その後の経済は低迷、未だに回復せず失われた30年となってますね。

この時期印象的だったのは、隣国同士の笑顔の国タイとミャンマー。
1997年前にはタイは経済発展で豊かになり笑顔が増したが、通貨危機が起きて以降、これまで少なかったと言われる自殺者が増加

ミャンマーは、経済的な豊かさは無いが相変わらずの笑顔。

実際には、ミャンマーは軍事政権だっとこと、タイの医療体制は経済発展により充実(寿命が伸びた)等の違いがありましたが、自然豊かなタイで一時的にも笑顔が消えたことは忘れられません。

経済が発展することで豊かになることは間違いありませんが、持続可能な社会でなければ悲しい現実が待っているのです。


この物語から受ける強いメッセージ

タタラ場

宮崎駿監督の強い予言的なメッセージ

この映画が公開した時、すでに発展途上国を含めた急速な経済発展による危機感を宮崎駿監督は見抜いていて日本の神話を基にしたメッセージを発信したのだとしか考えられません。


容易ではないが理解することから始めるSDG’s

理解することから始める必要がある

この映画には多くの登場人物がいて、それぞれの立場がある
アシタカのように全ての人の意見に耳を傾け相手の立場を尊重して寛容に受け止めて考えられる人は少ない。

アシタカやサンのように不条理な運命もあれば、エボシ御前のように多くの人の生活を見るためには山の神を敵に回すことも運命。

ジコ坊のように指導者からの命であった場合、背くと命が危ないかもしれないという運命。

山の神やコダマは人間に破壊されるかもしれない運命。


そのような、各人それぞれの人生のなかで、みんな生きています。


現在の社会環境は、環境問題、資源問題、格差問題、疫病等で社会も国境も分断されはじめています。
また、国籍や性別や人種や文化などの違いも分断の種になってます。

このような状況の中、世界的に自然災害が多発。

その数々の課題がある中での解決策は、互いに互いの立場を理解して尊重して、困難でも平和的に折り合いをつけて共に生きること、そして人間は自然とも共生していくことが必要だということ

アシタカの行動そのものですよね。

われわれは、今はすでに「もののけ姫」の映画化から25年、この映画の構想がはじまる1980年から約40年も経っていること、監督のメッセージを肝に銘じないといけません。

この映画は、宮崎駿監督が、アシタカのように各人が愚直に言葉だけではなくジェンダーなどの理解やSDG`sを目指し実行するよう示唆しているのでしょう。

この言葉が心に響きます。


共に生きよう。


(この記事はあくまでわたしなりの解釈です。)


おまけ

もののけ姫の舞台と言われている風景
このようなシーンが


最後までお読みいただきありがとうございました。

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