生きるってなんだろう的なハテナが消えました。
引っ越しをしました。
2月は思った以上に忙しかったです。
noteを投稿しなかった自分への言い訳です。。。
というのを2月に書いて、そして3月も末になりました。
この記事も含め、出せていない記事がいくつかあります。
最初は自分が「書きたいことを」「自由に」
と思っていたnoteだったけれど、
予想以上に読んでくれる人がいました。
(ありがとうございます!)
それで、ひとつひとつ、「責任と自信を持って」
と考えるようになり、note
を温めすぎてしまいました。
もちろん大事にことだけれど、
もし1年後の自分が「この記事は今の自分とは違う」
と思ったら、
再度、自分の言葉で上書きしていけばいい。のかな。
考えは誰しも、変わりますよね。
写真は、今年初めて見た桜!
では本題に入ります。
私のiphoneのメモにはいつも乱雑な文が並んでいる。
今回はその中の一つをちゃんと文章にしていきたいと思う。
ゴクンと唾を飲んだ。唇をしぼめた。
このセリフが素晴らしくて、納得した。
そう言いたいわけではない。
唾を飲み込んだ理由は、
私の力ですぐに言葉で表せるような
そんな感情ではなかった。
生きるってなんだろう。とか言いたくない。
そういうことではない。
息をして、お水やご飯を口にして、口にしなくても
生きる。そんな壮大なことはいらない。
言葉を持って、言葉を巡らせ
一生懸命に
見て、聞いて、感じて、
それから・・・
木や太陽や海は何も言わない。
見て、聞いて、感じて
息をして
それだけ、でいいのに。
人はそうはいかない。
見て、聞いて、感じて、
それから・・・
「話す」
生きている と 「話す」 がある。
(これら3つは社会のことであって、
もちろんこれらが出来なくても生きている人はいっぱいいる。
という解釈で。)
知らなければ、優しくできない。
知っていても、優しくできない。
今回セリフを引用した「あん」という映画のなかでは、
ハンセン病に対する差別の問題が扱われている。
ハンセン病を患い、その後完治しているにも関わらず、
世間に受け継がれてしまった差別のため、
苦しんだ、苦しんでいる人がいる。
(そもそも「らい菌」の感染力は弱い。隔離する必要もないということもわかっている。)
平成では国の罪を訴える裁判が何度もニュースに流れていたため、
「ハンセン病」のことは少しだけ知っていた。
だけど、そのニュースを見て、
ちゃんと「知ろう」とできなかった。
怖かったから。
今は後遺症もなく、完治できる病気だけれど、
ひと昔前は後遺症が残ってしまった人もいた。
手や足や顔に後遺症が残ってしまった方の写真を見るのは、
少し怖く感じてしまっていた。
その自分の気持ちは「よくないことだ」と蓋をして、
問題を自分から遠ざける。
そんなふうにして、たくさんの差別が放置され、
「平和」な世の中だと思える人だけが「平和」な世の中であり続けている。
自分と違う人を「怖い」と感じるのは、
別に変なことではない。
人を見て、ものを見て、感じることは
誰にも止められない。
感じたときに、どんな態度、言葉をとるのか。
今こうして健やかに生きることができるのは、
過去に戦ってきた人がいるから。
それなら、未来の自分が、大好きな人たちが
もっと幸せに生きられるように、
たくさん見て、たくさん聞いて、たくさん感じて
そんな思いを心の内に秘めるだけじゃなくて
態度で、言葉で、生き方で
示していきたい。
でも、もちろん、
それはみんながやらなきゃいけないことじゃない。
生きることは、見ること、聞くこと、感じること。
それに加えて、自分の「幸せ」を増やすために
私は話したい。
最近、そんなふうに強く思っている。
何か少しでも感じてくれたら
「スキ」や「コメント」で
「話して」くれると嬉しいです。
参考
・映画 「あん」 2015年
⇨面白いので、ぜひ見て観てください。
河瀬直美監督の映画は、ハッとさせられます。
・ハンセン病とは 長島愛生園
https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/hansen/aiseien/hansenbyoutoha/index.html
・ハンセン病とはどんな病気ですか 広島県
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki/269/1169167587923.html
ハンセン病については、
調べればすぐに出てきます。色々見ました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?