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読者層を決めていいのか

こんばんは。図書館のマイページで、今自分が借りている本の返却期限を確認したところ、全部今月中だった。本に本に追われそうである。そしてまた「何度も借りては読まずに返却期限を迎えるけど、存在は覚えている本」が増えてゆく一方である。買ったら間違いなく、文庫本棚で眠る運命をたどることになる(そういう本は大抵文庫化されている)。

さて、今読んでる本は、図書館の分類上「児童書」というカテゴリに入ってる。文章もひらがなが多めになってて、「ああこれは小学生が読むために、ひらがなが多めなのか」と考えている。訳者あとがきは1ページ目の途中で見るのをやめたほど、核心を突いたようなことが書かれてた。

「星の王子さま」もそうなんだけど、大の大人が児童書を読むのはアリなのだろうか? 「星の王子さま」は新しい訳が出まくった頃、文庫で2冊ほど買ってます。

今の子どもが本を読まずにゲームをやってるとか、そういうことは考えてません。ゲームもほどほどにすれば、いいんじゃないかという考えです。没頭しすぎて、家族団らんや勉強その他を疎かにしなければいい。

とはいえ、今日も放課後に相当する時間帯に地域図書館に行ったら、子どもの姿を見なかった。本は魅力的ではないのか。まあ地域図書館の並びの小学校の生徒の下校時間だったらしい。

子どもの頃から図書館に行って本を借りていたけれど、芦田愛菜ちゃんのように深く読んでたかと聞かれたら、「?」と答えるくらい浅かった。昭和には辻村深月の小説はなかったし。
本を大事に読んでなかったことを反省します。あとこの頃からティーンズハートを読んでたような…これじゃあ「はてしない物語」や「モモ」にビビるわけだ。

同じミヒャエル・エンデでも、「はてしない物語」は豪華な装丁だったり分厚かったりするので、本屋さんでは見ない(岩波少年文庫になったのは見ます)。「モモ」は某SNSで書店員さんが必死に勧めているように、昔よりハードルが低くなったようだ。その書店員さんも子どもの頃に読んで、心に刺さるものがあったのだろう。だから「いいものはいい!」と特設コーナーを設けてまで売ってる。

そういうのを見て、今の子どもが「この本読んでみたい!」と思うのだろうか。子どもが読む本と決めつけていいのだろうか?と考える。小中学生時代にティーンズハートや野球雑誌を読んでいたので、私は人生のどこかで落とし物をしたような気がしてならない。

そこでケストナーから始まって、「はてしない物語」や「モモ」に興味をもったってわけ。

児童文学は子どものものと誰が決めたのだろう?
海外文学に限らず、日本の作家が書いた児童文学もある。むしろ図書館にはそっちが多い。

日本の古典文学は好きだけど、原文から丹念に読み込むこともしてないし、受験勉強の一環で学んだ文学史に出てくる近現代の文学作品も、それほど読んでない。スポンジのように吸収する年頃をとっくに過ぎているので、今から読むのは遅いのか?と思いながら、児童文学を少しずつ読んでいる。

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