#1薬剤師の南 プロローグ(小説)
私が幼いころ、私の家には見知らぬ女性が住んでいた。
彼女のことを思い返すと幽霊か、はたまた空前絶後の不審者か、などといった切り口から語ることもできるだろうが、彼女はあまりにも自然に我が家の家族の一員として立ち振る舞っていたので、その時の私は何の疑問も持っていなかった。
彼女はよく私の遊び相手をしてくれた。今でも特に記憶に残っていることといえば、ヘアゴムやヘアピンをたくさん使って度々私の髪を色々といじっていたこと。母があまり私の髪型に強いこだわりを示さない人間だったので、彼女の手さばきは私をいつも感動させていたのだった。
あと、彼女は沖縄から来た薬剤師だったということも、彼女を思い出す上で欠かかせない。二人で一緒に日本地図を見て、ここ東京から遠く離れた島の一つがその沖縄だという話をしたこと、そして、桜の花びらが降る公園で、すやすやと眠る私の妹を抱えた母と『薬剤師』という名札を下げた白衣の彼女が談笑していた姿が、鮮明に記憶に残っている。
やがて、そんな彼女とも別れの時がやってきた。彼女はどのくらいの間うちにいたのかは定かではない。すごく長かったかもしれないし、短かい時間だったかもしれない。きっと私はその時別れを惜しんで泣いていた。
「はい。依吹ちゃん、これ好きだったからプレゼント」
彼女はそう言って一冊の本をくれた。それは私が彼女によく見せてもらっていた本――薬局の待合室に置いてありそうな、子供向けに書かれた生薬図鑑だった。この図鑑は今でも私の手元にある。大事な宝物だ。
しかし、時が流れて私が中学生のころ、私がふと彼女のことを話題に出すと、母も父も「そんな人はいなかった」と言い出す、妙なことが起きた。
その時は夕飯の食卓の場だった。
「うちに女の人がいた? 何かのニュースやドラマとかと勘違いしてるんじゃない?」
「だって、本もらったよ。生薬図鑑。お母さんも知ってるでしょ?」
「自分でお年玉使って買ったんじゃないの?」
と、母は取り付く島もない。
「はは。そんな人がいたら、間違いなく警察沙汰だねぇ」
父もそんな調子だった。
「薫は覚えてない?」
妹の薫にも確認してみるが、
「覚えてないよ。その時お母さんに抱っこされてるっていうなら、私、赤ちゃんでしょ?」
「だよね……」
そして、二十四才になったこの春、
「池上さん、お待たせしました。薬剤師の南と申します」
私、南依吹は今、沖縄の薬局にいる。
南の薬剤師の、薬剤師の南。なんだか可笑しな響きだ。
※お読みいただきありがとうございました。登場人物などの紹介は下記リンクの記事をご覧ください。
※この小説はフィクションです。実在する人物、団体等とは一切関係ありません。また、作中の医療行為等は個人によって適用が異なります。
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