「歴史好きな中高年」は坂本龍馬をロールモデルにしてはいけない
坂本龍馬、日本史の偉人と呼ばれる人の中でも特に人気の高い人だと思います。
昭和初期までも有名な維新志士の一人ではあったそうですが、国民的なヒーローにのし上がるきっかけとなったのは司馬遼太郎の「竜馬がゆく」での描かれ方のようです。
坂本龍馬ファンは相当数存在する
最近(と言っても10年前ですが)で言えば、大阪維新の会が「維新八策」を打ち出すなど、坂本龍馬を元ネタにした話は定期的に出てきます。
2010年にNHK大河の「龍馬伝」、その後も「仁」などでも龍馬が魅力的な人物として描かれるなど、坂本龍馬は一定の人気を誇っています。
私自身は個人的には坂本龍馬をそれほど好きではないのですが、その描かれ方自体は解釈の自由ですし、そういった人物像も考えられるのかな、と感じていて、特に思うところはありません。
おそらくは、坂本龍馬を好きな人たち、特に中高年の人は、龍馬伝などに出てくる人間像とその業績にあこがれを抱く部分もあるのでしょう。
歴史上の偉人はロールモデルとして扱う
歴史を好きな人、偉人に憧れる人の多くはその人を自身の活動や目標達成のロールモデルにしているのではないでしょうか。
それ自体は決して悪いことではないでしょう。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とはビスマルクの言葉だったでしょうか。
自分の経験だけではなく、歴史から指針を得ること自体は非常に有益だと思います。
それを踏まえた上で、また自分自身が中年という年齢層に入ったことで考えた時に、果たして坂本龍馬は中高年がロールモデルとするに適切なのだろうか、ということです。
龍馬は若者が老人に挑戦したモデル
坂本龍馬をはじめ、早逝した幕末の志士はその業績の大半が当時の権力者への反抗であり、若い才能の挑戦です。
彼らは幕府という既得権者であり、新しい時代が見えていない守旧派を内倒し、グローバリズムの波に日本を押し出しました。そこには老人たちとのし烈な争いがあったはずです。
もちろん、当時と現代の年齢感覚をそのまま考えることは難しいのですが、それでも組織の中上位層に位置する中高年が血気逸る若者をロールモデルにすることに違和感を抱きます。
中高年は龍馬たちが乗り越えるべき障害であって、急進的な若手改革派とは異なるポジションです。
したがって、中高年のロールモデルにはもっと適切な役割をした人を考えるべきではないでしょうか。
若者を支援し、挑戦をサポートする存在
中高年が目指すべきは、幕末で言えば勝海舟や佐久間象山、大村益次郎など、幕末の志士の中では高齢であり、サポート役を請け負っていた人物ではないでしょうか。
日本が抱える閉塞感の多くは、老人が既得権を握り、多数派を占めることによってイノベーションやゲームチェンジが起こりにくくなっている状態に原因があるように感じます。
そしてそれを変える力は中高年ではなく、若く精力的な新進気鋭の改革者ではないかと思うのです。
もちろん、中高年がそうした改革者になれないわけではないでしょう。しかし、既存の権力構造に絡めとられ社会常識に囚われた中高年がその役回りをするのは難しいのではないでしょうか。
若者の邪魔をしない、させない
私たち、中高年には龍馬になるのではなく、その邪魔をいかにしないか、させないかということが求められていると私は感じています。
以前書いた記事ともつながりますが、いかに突出した才能を邪魔させないか、それが大人に求められているのかもしれません。